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8-5-8 作業員の被ばく限度250mSvへ引上げ

福島第一原子力発電所事故から4年後の2015年4月17日に、厚生労働省の有識者会議で、緊急時の作業員の被ばく許容量を250mSvに引き上げる案をまとめました。この線量が何を意味するのか、チェルノブイリ事故から4年後の対応と比較してみます。

チェルノブイリ原発事故から4年後の対応

1990年春(事故からちょうど4年後)旧ソ連の3共和国(ベラルーシ・ロシア・ウクライナ)の専門家たちが集まって、事故の健康影響に関する国際調査プログラムの基本原則を検討し、その後WHOが関わり、「チェルノブイリ事故の健康影響に関する国際プログラム」(IPHECA)となった。IPHECAのマネジメント委員会報告書(1994 注1 [1])から抄訳する。調査対象は汚染地帯の市民と原発作業員の健康で、最初のパイロット・プロジェクトは以下である。

このプログラムには日本が中心となって財政支援(訳者による強調)をし、その他、チェコ共和国・フィンランド・スロバキア共和国・スイスが援助した。委員会は3国の保健省、WHO、そしてこのプログラムのためにWHOに寄付した国々の代表から構成された。被ばくの影響が大きい3国の保健省が以下の点を強調した。

この会議でロシアが提案し、ベラルーシ、ウクライナも賛同したのは、作業員の健康状態を調査する追加プログラムだった。8年間で80万人(ロシアだけで35万人)の作業員が被ばくしており、1986年の作業員の3分の1は20cGy(200mSv)被ばくしており、彼らの疾病率はすでに増加している。作業員の治療とリハビリテーション、心理的影響についても検討が必要。ロシア保健省が予算を拠出するが、特別予算が必要。

チェルノブイリ事故処理にあたった人々はliquidator(リクビダートル)と呼ばれるが、上記WHO文書や論文ではclean-up workerという語を使用している。福島原発事故処理にあたる人々との統一を考えて、チェルノブイリ事故の場合も「作業員」という語を使用する。

IPHECA血液学パイロット・プロジェクト

チェルノブイリ事故による被ばくからどんな病気が想定され、事故後6〜7年でどんな疾病が現れているのかが概観できる報告書「IPHECA血液学パイロット・プロジェクト」(1994 注2 [1])から抄訳する。

バルト三国におけるチェルノブイリ作業員とその子どもたちの健康リスクの共同研究

IPHECAプログラムとは別に、WHOが関わったプログラムがある。1993年に刊行された報告書(注3 [1])から抄訳する。

チェルノブイリ原発敷地内と汚染地域のクリーンアップに駆り出された旧ソ連の国々の人々の多くはソ連軍の徴集兵だったため、作業終了後に多くの国や地域に散らばって行った。バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の保健省が、バルト三国に住む元作業員を追跡する援助をWHOに正式に依頼した。その背景には、健康被害のモニターを求める市民の声があがり、エストニアでは1991年に「エストニアのチェルノブイリ放射線登録」が組織され、エストニアに避難した被災者および原発作業員全員を対象とした健康モニタリングが始まったことがある。調査内容は以下である。

IPHECAプログラムの問題点

以上、WHOのIPHECAプログラムを紹介したが、原子力推進機関IAEAに対して従属関係にあるWHOでさえ、被ばく影響について考慮せずにはいられなかったという含みがある。しかし、その結果は信頼できるものではないようだ。IPHECAプログラムの専門家アドバイザーだったベーヴァーストック博士は、子どもたちの甲状腺がん増加について欧米で初めて論文(Nature, 1992)として発表した専門家である。博士は2006年の論文「チェルノブイリ事故から20年:健康被害の評価と国際的対応」(注4) [1]の中で、IPHECA発足と国際協力に伴って起こった主導権争いの結果、調査研究が進まなかったことを述べている。IPHECAの財源2000万ドルの大半は日本からの資金で始まったが、やがて国連人道問題調整事務所(OCHA)、UNESCO、欧州委員会(EC)、赤十字、笹川財団、アメリカ、オランダ、ドイツなどが人道的、研究面での支援を申し出た。やがてアメリカ・WHO・OCHAが被災3国との独占協定を主張し、その結果、プログラムに混乱が生じ、多くの国際機関がWHOに協力することに躊躇するようになった。

一方、IAEAは旧ソ連の事故対応の評価をするために、1990年に調査団を被災国に送り、その報告書を1991年に発表した。ベラルーシとウクライナの子どもたちに起こっていた甲状腺がん問題も視察団には報告されたが、放射性ヨウ素にがんリスクはない、潜伏期間が短すぎるとして、「将来的には増加がありえるかもしれない」という言及に留めるだけだった。

欧州委員会はヨーロッパ諸国のチェルノブイリ事故影響を心配して、甲状腺がんやその他の研究を支援した。アメリカと緊密な連携のもとに人道的支援も行ったが、1992年のWHOとの合同会議以降、WHOとは調査研究の協力はしないと強く主張した。

この論文を発表したベーヴァーストック博士はフクシマ問題でも警鐘を鳴らし続けている。岩波書店の『科学』掲載記事がフリーアクセスになっている(注5) [1]。なお、WHOとIAEAがチェルノブイリ事故を過小評価する中で、ロシア・ベラルーシ・スイス・イギリスなどの良心的独立系科学者たちが、WHO/IAEA主催の国際会議(2001)で激論を戦わせる様子と、健康被害に苦しむ子どもたちの様子を撮影したドキュメンタリー映画「真実はどこに」(注6) [1]がインターネットで視聴可能なので、是非ご覧になっていただきたい。

1976年に放射能の影響は「早期老化」という形で顕在化すると警告したバーテル博士の言葉通りに、多くの小学生たちが脳梗塞や心臓病で入院していることがわかる。この映画の冒頭でインタビューされていた女の子は撮影の翌年に亡くなったと、映画に登場するミシェル・フェルネックス教授が2012年に来日された時に、おっしゃった。このドキュメンタリー映画のチェルトコフ監督がチェルノブイリの取材をもとに書かれた本が邦訳されて出版されたばかりで、克明な記録として参考になる(注7) [1]。チェルトコフ監督は原発事故処理にあたった作業員たちを追ったドキュメンタリー映画「サクリファイス」(犠牲 2003)も製作している。この映画の書き起こしをブログ「みんな楽しくHappy♡がいい!」(注8) [1]で読むことができる。

ウクライナ政府報告書(2006)『チェルノブイリ事故から20年』

WHO、IAEA、そしてUNSCEAR(アンスケア:原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告が信頼できないのなら、チェルノブイリの健康影響について、誰/どこの調査研究を信頼すればいいのだろう。当然のことながら、原子力産業や原子力推進機関と利害関係にない科学者や医師の調査研究だろう。最も被害の大きいベラルーシ・ウクライナ・ロシア政府の報告書も参考になるだろうが、日本のように、政府・行政・自治体・専門家による過小評価はないのだろうか。

ウクライナ政府は事故から20年後の2006年(注9) [1]と、25年後の2011年に被害に関する報告書を出している。2011年の報告書は日本語訳されている(注10) [1]が、2006年の報告書は管見では翻訳されていないので、作業員の健康被害について抄訳する。注目は事故による放射線被ばくが様々な症状を引き起こすことや、政府の取組の失敗点も明記している点である。

作業員の白血病リスクに関する最新の研究

2013年1月に発表された論文「チェルノブイリ作業員の慢性リンパ性白血病とその他の白血病のリスクと放射能」(注12) [1]は、上記ウクライナ政府報告書で述べられていた作業員の調査研究の延長線上にある調査研究のようである。「チェルノブイリ事故の処理にあたった作業員の低線量被ばくが白血病の有意な上昇に関連している。分析によって、慢性リンパ性白血病とそれ以外の白血病が共に放射線感受性[が原因]であると結論付けた」とある。ウクライナの作業員の被ばく線量は100mSv未満(積算)がほとんどで、低線量でも被ばくによって白血病が引き起こされることを証明した。概要は新聞報道に掲載されている(注13) [1]

日本の作業員は1000mSvまで被ばくさせられる?

福島原発事故から4年たった日本では、チェルノブイリと逆に、作業員の被ばく限度を250mSvに引き上げるばかりでなく、生涯線量を1000mSvとして、18歳から68歳までの就労期間内に1000mSv被ばくしてよいという報告書案を、厚生労働省「東電福島第一原発作業員の長期健康管理等に関する検討会」(2015年4月17日)で合意した。事故直後に250mSvに引上げた経緯は6—6で詳しく紹介したが、チェルノブイリでは250mSvの限度値は1か月間だけとされ、100mSvから50mSvへと引き下げていったのに対し、日本では9か月間250mSvとし、一部の作業員には13か月間適用されたのである。

事故直後から放射線審議会が主張した250mSvを原子力規制委員長が事故から3年以上経過した時点で主張し、厚生労働省の有識者会議で明文化したわけである。報道では250mSvしか言及されていないが(注14) [1]、上記検討会に提出され審議された報告書(第2次案の第4、第5 注15 [1])には、「「仮に緊急作業を実施する事態となった場合」「事業者は、生涯線量(1シーベルト)から累積線量(緊急線量と通常線量の合算)を減じた残余の線量を全就労期間(18歳から50年間)から年齢を減じた残余の期間で除することで、5年当たりの線量限度を労働者ごとに個別に設定する」と書かれている。

この文言によると、250mSvないし1000mSvを適用するのは将来起こるであろう事故だけでなく、現在進行中の福島第一原発事故作業とも読める。生涯線量と緊急線量との関係について、計算例(p.16)が2例あげられており、それによって想定すると、45歳の作業員の場合、緊急線量を200mSv被ばくした上、通常線量5年間100mSvを被ばくした者は、残りの700mSvを、定年(68歳と想定されている)までの就労年数23年で割り、年30.4mSv被ばくしてよいという計算になっている。この計算の前提は、福島第一原発で既に200mSv被ばくした作業員が事故から5年間に通常被ばく100mSv被ばくし、合計300mSv被ばくした上で、6年目以降も作業を続けられるようにするために、年30.4mSvまではよろしいという発想である。この場合、5年間の通常線量が152mSvになるが、これも認めると読める。つまり、生涯1000mSvを達成するためには、それまでの「5年100mSv」という枠を外してもよいという案であろう。

注1:WHO (1994) International Programme on the Health Effects of the Chernobyl Accident (IPHECA): Report of the Management Committee Meeting Geneva 16-17 March 1994
http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/61797/1/WHO_EOS_94.24.pdf [2]
IPHECAプログラムに関する一連の報告書はWHOアーカイブスからアクセス可能。

注2:WHO (1994) The International Programme on the Health Effects of the Chernobyl Accident (IPHECA): Protocol for the Pilot Project “Haematology”
http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/62665/1/PEP_93.10.pdf [3]

注3:WHO (1992) Coordination of Studies of Health Risks in the Chernobyl Clean-up Workers and their Offsprings in the Baltic Countries: Report on a WHO Consultation
(バルト三国におけるチェルノブイリ作業員とその子どもたちの健康リスクの共同研究—WHOコンサルテーションに関する報告—):この報告書はWHOのアーカイブスに見当たらないが、ヨーロッパの専門家が日本で役立ててほしいと送って下さった。

注4:Keith Baverstock & Dillwyn Williams (2006), “the Chernobyl Accident 20 Years On: an Assessment of the Health Consequences and the International Response”, Environmental Health Perspectives, 2006 Sep; 114 (9): 1312-1317.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1570049/ [4]

注5:Keith Baverstock (2014) “2013 UNSCEAR Report on Fukushima: a critical appraisal”, 『科学(電子版)』第84巻第10号, e0001頁, 2014年 
http://www.iwanami.co.jp/kagaku/ [5]

注6:ウラディーミル・チェルトコフ(2004)「真実はどこに?—WHOとIAEA 放射能汚染を巡って」
http://ringono.com/2012/05/24/nuclearcontroversiesvideo/ [6]

注7:ウラディーミル・チェルトコフ、中尾和美他(訳)(2015)『チェルノブイリの犯罪(上巻)—核の収容所』緑風出版。内容は
http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1505-0n.html [7]

注8:「『チェルノブイリの犠牲者』原発作業員の証言と現実 2003年」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2319.html [8]

注9:ウクライナ緊急事態省(2006)『ウクライナ政府報告—チェルノブイリから20年—未来への展望』Ministry of Ukraine of Emergencies and Affairs of population protection from the consequences of Chornobyl Catastrophe (2006), 20 years after Chornobyl Catastrophe: Future Outlook,
http://chernobyl.undp.org/russian/docs/ukr_report_2006.pdf [9]

注10:ウクライナ政府(緊急事態省)(2011)、「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク(訳)『チェルノブイリ事故から25年”Safety for the Future”』
http://archives.shiminkagaku.org/archives/csijnewsletter_010_ukuraine_01.pdf [10]

注11:「放射線白内障」の解説は放射線影響研究所のホームページに掲載されている。
http://www.rerf.or.jp/radefx/early/cataract.html [11]

注12:Lydia B. Zablotska et al. (2013) “Radiation and the Risk of Chronic Lymphocytic and Other Leukemias among Chornobyl Cleanup Workers”, Environmental Health Perspectives, Vol. 121, No.1
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3553431/ [12]

注13:「チェルノブイリ除染で被曝、低線量でも白血病リスク」(共同)『日本経済新聞』2012/11/8
http://www.nikkei.com/news/ [13]

注14:「原発作業員の緊急被ばく限度引き上げを」NHKニュース、2015年4月17日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150417/k10010051971000.html [14]

注15:「東電福島第一原発作用員の長期健康管理等に関する検討会 報告書(第2次案)」、2015年4月17日開催の検討会資料4。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000083062.pdf [15]