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7-4-2 訳者解説:リスクコミュニケーションは放射能安全神話作りのツール?

英国インペリアル大学分子病理学専門家のジェリー・トーマス教授がBBCで「チェルノブイリの死者は122人、福島原発事故による死者はゼロ」と発言し、イギリスの国会議員や専門家たちがBBCに抗議しましたが、トーマス教授は福島と東京で安全神話作り活動を積極的に展開しています。

リスクコミュニケーションは放射能安全神話作りのツール?

 早稲田大学の国際シンポジウムと同日の10月15日にジェリー・トーマス教授(Gerry Thomas イギリスのインペリアル大学分子病理学部長 チェルノブイリ組織バンク所長)が「福島におけるリスクコミュニケーションの重要性」という講演を行った。主催は国連大学とイギリス大使館で、講演要旨が公開されている(注1) [1]

 その中で、WHO(国際保健機関)とUNSCEAR(国連科学委員会)の報告を支持し、福島の原発事故による被害よりも「放射能不安」による健康被害の方が大きいこと、住民にその事実を伝えるコミュニケーションが、将来のエネルギー政策決定の鍵になると述べている。ちなみに、長瀧重信・長崎大学名誉教授(6-4で紹介した環境省の「住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」座長)がアメリカのエネルギー省に送ったメール(2013年)がアメリカ連邦情報公開法で開示され、その中にエネルギー政策に関する見解を示す記事を送ったことが記されている(注2) [1]。エネルギー省に「エネルギー利用に関する私の心配」(my concern on the energy utilization)を知ってもらいたいという意図は何だろうか。

 分子病理学の専門家であるトーマス教授が、将来のエネルギー政策の決定のためにリスクコミュニケーションが重要だと訴える背景には、東京電力が彼女を招聘したことがあるようだ。

 トーマス教授の上記の講演と同じ題名の文章「福島におけるリスクコミュニケーションの重要性」(2014年10月8日 注3 [1])が彼女の名前で公表されている。この中で、トーマス教授が「家族のリスクマネジメント勉強会」の「地域シンポジウム」(2014年8月4日開催)で話したことが写真と共に紹介されている。「家族のリスクマネジメント勉強会」のホームページ(注4) [1]に、このシンポジウムのお知らせが掲載されているが、その中に東京電力の諮問委員会「原子力改革監視委員会」の副委員長バーバラ・ジャッジ氏(英国原子力公社名誉会長)が「原子力の安全文化の確立と、市民とのコミュニケーションの改善に取り組」み、トーマス教授を招聘したと述べられている。

 トーマス教授の寄稿記事に、その時の写真が掲載され、バーバラ・ジャッジ氏の姿も見える。東電の諮問委員会「原子力改革監視委員会」については、委員会のホームページがあり、2012年9月に東京電力取締役会の諮問機関として設置されたと書かれている。委員長は元米国原子力規制委員会委員長のデール・クライン氏、副委員長は上記のバーバラ・ジャッジ氏、3人の委員は大前研一氏、櫻井正史氏(元国会事故調査委員会委員)、薮土文夫氏(東電取締役会長)である(注5) [1]。ジャッジ氏は「ソーシャル・コミュニケーション」を分担しているそうで、その活動内容として、以下の文章が記されている。

・ 「ジャッジ副委員長は、地元住民の方々に放射線に関する正しい知識を持ってほしいとの考えから、2014年8月4日〜5日に甲状腺ガンの専門家であるジェリー・トーマス教授とともに福島県各地を訪問」
・ 8月4日の夜には、福島県伊達市霊山町にある『りょうぜん里山がっこう』で開催された甲状腺検査に関する地域シンポジウムに参加」
・ 「正しい知識により少しでも不安を和らげることができるよう、地元住民の方々とのコミュニケーション活動を行っています」(注6) [1]

トーマス教授が伝える正しい知識

 トーマス教授はどんな「正しい知識」を伝えたのだろうか。「地域シンポジウム」の内容と考えられるものが教授自身の寄稿文に書かれている。「誰一人として、福島の事故そのものからの放射能によるダメージをこうむるとは考えられません」と断言している。そして「放射能は安全ではないと信じている人たち」が問題なのだと示唆して、放射能が安全だという「私たち科学者による情報の提供はよりいっそう重要と信じます」と読み取れる内容である。

 トーマス教授は日本政府が重用する専門家の一人で、官邸HPにメッセージが公開されている(注7) [1]。上記の内容と重なるので、首相官邸ホームページ掲載のメッセージを参照されたい。また、2013年3月には日本原子力産業協会でも講演をしている(注8) [1]。注2の文章によると、いわき市の「福島エートス」を訪ね、「福島第一原発から25km離れた、150世帯くらいの末次という小さなコミュニティ」の住民と話したという。2014年8月4日の「地域シンポジウム」の詳細は「家族のリスクマネジメント勉強会」の半谷輝己氏が報告している(注9) [1]

トーマス教授のBBCでの発言に対する抗議

 一方、イギリス国内でも同じ発言をして、抗議された。2011年10月3日放映のBBC科学番組「Bang Goes the Theory」で、トーマス教授は専門家としての見解を求められ、安全論を述べた。この番組とトーマス教授の発言内容について、50人以上のMP(イギリスの国会議員)と専門家が署名した抗議がBBCに寄せられ、審査委員会が開かれた。抗議の内容は以下のような点である(注9) [1]

・ 番組は中立性に欠けている(安全論に偏っている)。
・ チェルノブイリの死者数が122と番組で伝えたのは、実際の推定数である15,000〜60,000という現在の(2011年当時)科学的分析を無視し、誤った情報を伝えている。
・ 番組でチェルノブイリとフクシマの専門家としてジェリー・トーマス教授しか採用していないこと;彼女が「フクシマの放射線による死者は出ない」と言った時に、放射線を示す標識の横に大きなゼロ数字が現れ、音楽がクレッシェンドになったことは、低線量被ばくの性質を誤解させる。これは科学番組ではなく、1派閥のプロパガンダである。
・ ゴールデンアワー放送時間にBBCが謝罪を放送することを求める。そして、放射線の安全性とエネルギーのオプションに関して別の視点から新たな番組を制作することを求める。

 トーマス教授がその他、何を言ったのかは、抗議者へのBBCからの回答(注10) [1]に明らかにされているので、要点を訳す。

ジェリー・トーマス:誰もが知っていることは、長崎と広島の原爆ですよね。この原爆で死んだ人は多かったですが、人口の大半は爆風による怪我で死んだのです。放射能で死んだのは15〜20%にすぎません。つまり、放射能で死んだのは2万人ということです。

 別の例を見てみましょう。ここにある数字、死者26,000人というのは、1975年に中国のダム決壊で死んだ人の数です。ダムはこのコミュニティに水力発電を供給するためにあるわけですね。これで広い視野から見る重要性がおわかりいただけるでしょう。喫煙者の死者数は2009年に10万7000人でした。また、2009年の交通事故の死者は2,222人でした。ベッドから転げ落ちて死ぬ人が何人か知ってますか? 毎年106人がベッドから落ちて怪我をした結果、死んでいます。人生はリスクに満ちているんです。

 チェルノブイリの死者数はどのあたりか知りたいでしょう? 交通事故の死者数より少ない122人です。ベッドから落ちて死ぬ人数と、交通事故で死ぬ人数の間です。

 
 BBCの調査委員会の結論は、チェルノブイリに関してはIAEAの2005年レポート「チェルノブイリ・フォーラム」とUNSCEARの2008年レポートを引用し、トーマス教授の数字は妥当だとした。福島原発事故の影響については、日本政府からIAEAに出された報告書を引用して、福島原発から放出されたセシウム137の量はチェルノブイリの17%だから死者が出ないというトーマス教授の評価は妥当だとした。抗議者たちが引用した『ネイチャー』誌掲載のストールら(Stohl et al)の数値が日本政府の数値よりずっと高いセシウム137の放出量という点については、「この論文は住民の健康被害について何も結論を述べていない」ので却下という。

 放射能安全派の専門家たちは、子どもや胎児が放射線の感受性が高いことについて触れない。死者数しか問題にせず、健康被害について無関心なことである。首相官邸掲載のトーマス教授のメッセージには、「甲状腺細胞が多くの放射線被ばくをすることになります。幸いに、若年発症の甲状腺がんは非常に治療効果が良く、50年間のがん死のリスクは非常に低い(約1%)」と強調している。放射線被害があることは認めているが、「がんになっても、1%しか死なないから安心」と言っているわけだ。1976年アメリカ議会セミナーから学んだことは、低線量被ばくによって免疫システムに影響があり、早期老化によって様々な疾患に苦しむことで、健康面でのクォリティー・オブ・ライフ(quality of life生活)を奪われることである。

 トーマス教授は首相官邸HP掲載のメッセージで「科学者は100mSv以下では何の効果[山下俊一氏の訳のままだが、影響の意味]も無いとは言えませんので(「ない」ということを科学的に明らかにするのはとても難しいのです)」と述べているが、「科学的に明らかに」できないことを「安全」だと伝道するのが安全派の「科学」なのだろうか。

注1:’Communicating Health Risks from Nuclear Accidents—featuring Prof. Gerry Thomas’, United Nations University Institute for the Advanced Study of Sustainability, 2014/10/15
http://ias.unu.edu/en/events/archive/seminar/communicating-health-risks-from-nuclear-accidents-featuring-prof-gerry-thomas.html#overview [2]

注2:「長崎大元医学部長 長瀧重信氏:米エネルギー省へ『厚労省の補償問題がある。原爆症の取材を受けるのは待つべき』2013年のメールが米連邦情報公開法で開示」『エコーニュース』2014年11月14日:
http://echo-news.net/japan/nagataki-shigenobu-radically-distorted-a-bomb-academism [3]

注3:ジェリー・トーマス「福島におけるリスクコミュニケーションの重要性」HUFFPOST SOCIETY, 2014年10月8日投稿,
http://www.huffingtonpost.jp/geraldine-thomas/fukushima-risk-communication_b_5950940.html [4]

注4:「家族のリスクマネジメント勉強会」ブログ 福島支部、2014年8月4日 地域シンポジウム「チェルノブイリ組織バンク所長のジェリー・トーマス先生と対話してみよう!」
http://k-rm.net/fukushima0.html [5]

注5:原子力改革監視委員会HP「委員会について」: 
http://www.nrmc.jp/about/index-j.html [6]

注6:原子力改革監視委員会「各委員の活動状況」:
http://www.nrmc.jp/news/detail/index-j.html [7]

注7:「日本の皆さんへのメッセージ」
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g47.html [8]
http://apital.asahi.com/article/fukushima/2014100700004.html [9]

注8:「復興への道筋」原子力産業年次大会のパネリスト、2013年3月28日
http://www.jaif.or.jp/ja/annual/46th/registration-info_press.pdf [10]

注9:半谷輝己「福島の不安に向き合う(上)–甲状腺検査の波紋」、
Global Energy Research 2014年8月25日:
http://www.gepr.org/ja/contents/20140825-01/ [11]

半谷輝己「福島の不安に向き合う(下)–対話深めた地域シンポ」、
Global Energy Research 2014年8月25日:
http://www.gepr.org/ja/contents/20140825-02/ [12]

注10:”Editorial Standards Findings: Appeals to the Trust and other editorial issues considered by the Editorial Standards Committee” 19 September 2012 issued December 2012, pp.3-10.
http://downloads.bbc.co.uk/bbctrust/assets/files/pdf/appeals/esc_bulletins/2012/19_sep.pdf [13]

注11:BBC編集苦情部局長から抗議代表者のDr Paul Dorfman宛回答(2012年3月13日付)
http://www.nuclearconsult.com/docs/information/bbc/BBC_ecu_respone_2_bang_goes_the_theory.pdf [14]