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10-2:放射線基準のコスト・ベネフィット理論(2)

原子力委員会のコスト・ベネフィット論に対し、フロアから反論が出ます。食品添加物や農薬については規制が厳しいのに、「放射性毒物」の被ばく基準はゆるいと1人が言い、小児科医は未熟児の命を救う時にコスト便益など考慮しないのに、放射性毒物のコスト・ベネフィット論は「健康にお金を使いたくない」政治家の議論だと反論します。

課題10:連邦政府・放射線基準のコスト・ベネフィット理論
適切なシステムか? 他のシステムはないか?

エドソール:[訳者解説1参照] [1]ここで質問をしたいのですが、受け入れられるリスクというのは何ですか。人によって心配することが大きく違うように思います。現行のプルトニウムの被ばく基準は、受け入れられるリスクの一般概念の観点から検討されなければなりません。動物におけるプルトニウムの被害分野のトップの研究者の一人、W.J.ベア(Bair 訳者解説2参照 [2])はプルトニウム16ナノキュリーという「許容線量」を肺に抱えている人は、数年後に肺腫瘍になるかもしれないと予測しています。もし人間がねずみと同じくプルトニウムに敏感ならですが。

 たとえばですが、プルトニウムが食品添加物だとしたら、絶対に受け入れられないでしょう。FDA(食品医薬品局)の食品添加物・農薬に関する諮問委員会はその報告書にこう書いています。「多分1000人に2人以上は腫瘍を起こさないだろうと言う以外、何も言えないような毒物(agent)を人間に入れることを誰も望んでいない!」。実はこの委員会は、100万匹の動物に1匹以下しか腫瘍を起こさないという試験結果にすべきだと示唆したのです。そうでなければ、安全性に満足いかないと。プルトニウムはもちろん食品添加物でも農薬でもありません。しかし、燃料であり、知られている限り、最も致命的な兵器の主要原料です。この二つの場合、受け入れ可能な基準における違いはぎらぎらするほど明白です。私たちが放射性毒物(radioactive poisons)を扱う際には、何が受け入れ可能かについて、もっと深く考えるべきです。

モーガン:聴衆から質問を受け付けます。

ホーンブロアー:『ワシントンポスト』のマーサ・ホーンブロア(Martha Hornblower)です。FDAの官僚のどなたか、エドソール博士の有害物質基準と放射線の比較に関するコメントに反応する方はいませんか?

モーガン:放射線医学局(Bureau)の方でコメントしてくれる人?

バーネット(放射線医学局・医学訓練と応用部副部長):放射線医学局の専門は違いますからコメントできません。

モーガン:エレット博士に環境保護庁の見解を述べていただきたい。

エレット:少なくとも、コスト―便益のバランス化の可能性についての定義をロジャー・マットソンが述べたので、他のことをお話ししたいと思います。最もいいシステムはケースによって違うと思います。連邦政府の放射線ガイダンスは便益に対するコストのバランス化に基づいていますが、リスク便益のバランスも含まれています。放射線によるリスクがあるが、そのリスクが放射線を使うことによる便益に比べて小さいことが要求されます。他方、飲料水に関する規制は、水処理のコストを考慮して、放射性物質のレベルは現実可能な限り低くすることが求められています。ICRPの職業被ばくの勧告をどうやったかを見ると、ICRPは他の産業のリスクも見て、そのリスクとのバランスを達成しようとしています。

 コスト便益理論、またはバランス化は本当は何が簡単に達成可能かを決める方法として推奨されたのです。しかし、いつものデータよりもっといいデータがあるという想定に基づいています。放射線分野では幸運なことに、線量を下げると健康リスクが下げられるという便益があることがわかっています。それでも、議論の対象になる仮定に基づいているので、がんや遺伝子の影響に関するデータがあり、線量を減らす設備についてもある程度わかり、コストもわかるわけです。他のエネルギー源ではこのようなことはできません。

 ウラン燃料サイクルの基準は、たとえば、ロジャー・マットソンが言っていた環境保護庁が提案している基準ですが、他のエネルギー源の電力を考慮に入れることはできないと思います。つまり、石炭や火力や太陽光発電の健康影響やリスクと比べて、ウラン燃料サイクルの被ばくによる健康被害やコストとのバランスを考えるということはできないと思います。すべてのエネルギー源の健康影響に関する情報を手に入れることはできませんし、規制の設備にどんなコストがかかるかわかりません。

 議会が汚染物質のこの問題について指摘しました。たとえば、大気汚染規制値(Air Quality Standards)では、空気の質は健康被害を出さない安全レベル範囲であるべきだと言います。(どのレベルでどんな影響が起こるか言うのは科学者よりも議員の方が簡単なのでしょう)。でも、このことが示しているのは、基準設定に向かうには違った方法があるということです。一般公衆の被ばくのバランスを取るというのは非常に難しいことです。個人が500ミリレム[5mSv]被ばくしても健康リスクはものすごく小さいと仮定していますから、受け入れるべきだと言う。しかし、リスクをもっと減らすためにいくら使えばいいか、ある種の合理的基礎に基づいたもっと少ない線量を達成する方法を探します。

 個人の被ばく量を年間500ミリレム[5mSv]という歴史的線量にするためにどんなバランス化をしたのか知りません。年間500ミリレムのリスクがドル[金額]で見合うものだと、科学者の方が非科学者よりうまく評価できるとは納得できません。これは基本的に経済的文脈で行う政治的決断です。それに、これは立法機関と一般市民がもっと検討すべきことです。放射線科学者ではなく、国民全体として決めるべきです。人—レムにつき1,000ドルというような恣意的なコストー便益のバランス化には問題を感じています。人—レムは人間の命に本当に匹敵することだと思います。人間の命を金額で評価するという非常に困難な状況に追い込むことになります。こんなことは毎日行っているじゃないかという人もいますが、こんな議論が説得力あるのか、私は納得できません。

モーガン:あと二人からコメントを受け付けます。

チャールズ博士:質問してもよろしいですか?

モーガン:プログラムによると、もう一人書面の質問を受け付け、残りの質問はフロアからいただくことになっています。

チャールズ:コストー便益に関することです。

モーガン:それでは質問をどうぞ。

チャールズ:別のことを質問します。
コストー便益について言いたいのですが。私は小児科医です。コストー便益の議論を聞いていると、健康にはお金を使いたくないという政治家の議論のようです。もう何年もアメリカの高速道路で安全なスクールバスをと訴えてきましたが、「世論が高まるまでは予算はない」という回答をいつもいつも聞かされてきました。
 小さな未熟児の命を救うためには何千ドルも注ぎ込まなければなりません。そんな時にコストー便益についてなんて話しません。今日ここで話し合っている命をコストー便益と同等視することができるのか、理解できません。こんな分析法を使うなんて、アメリカ国民に対してアンフェアだと思います。ベトナムではコスト―便益分析法は使いませんでした。

(拍手)

エレット:今の件で話してもいいですか?

モーガン:どうぞ。

エレット:何千ドルかで一人の命が救えると言えればとても簡単なのですが、ロジャー・マットソンが言っていたのは、400万ドルで統計的な1人の命を救うことができる、そのレベルの支出でということです。ここが400万ドル使うべき所なのかは、社会が決めなければならないのです。みなさんがこの種のお金について話している時に、これらのことに決着をつけるのは難しい決断です。私の考えでは、私たち全員の人生をよりよくするために、このお金をどこに使うか決めるのは、この国の政府、立法府、行政部門、国民全体です。莫大な額のお金なのです。

訳者解説1

 最初に発言した「エドソール博士」とはJohn T. Edsall(1902-2002)だと思われる。 エドソールはハーバード大学・生化学部長を1931〜1957年まで務め、1958〜1968年に『生化学』(Journal of Biological Chemistry)の編集長として、掲載論文の質を高め、この学術誌を一流の位置に上げた。一方、『蛋白科学の進化』(Advances in Protein Chemistry)の共同編集を50年間続け、科学の質を高める彼の熱意についてのエピソードが語り継がれている。
 近代蛋白科学の父の一人と称され、学術誌『蛋白科学』(Protein Science)1992年I号は彼の90歳の誕生を祝って、ジョン・エドソール特集となっている。その論説(注1 [3])を抄訳する。

エドソール博士の父は医者からハーバード医学部長になり、その家庭で育ったジョン・エドソールは早い時期から社会的問題に関心を持つようになった。ハーバード大学学部生の時の同級生で友人だったのがロバート・オッペンハイマーだった。1971年にエドソールは次のように書いている。「原爆が広島と長崎に落とされるまで、私の科学者としての仕事と政治への関心は別々のものだった。1945年以降はそれは不可能だった」。

 1950年代中期の恐怖のマッカーシー時代にエドソールは『サイエンス』(1955)に、政府が科学研究に助成金を出すことで、研究者のキャリアに対して政府が絶大な権力を持つことになり、研究者の自由と基本的権利に脅威を生じさせる事例が起こっていることについて、抑えめながら書き、以下のように述べている。

 現在のアメリカ社会が急速に全体主義になっていると信じる心配性(alarmist)の不安は勿論共有しません。このような私の記事が出版され、自由に議論されることが、そのようなことはないといういい証拠です。しかし、上記のような[政府の]恣意的な行為に見られることは、全体主義的方法が現在進行中だということを示しています。抵抗するのは今です、後でではない(中略)。この状況下では、政府機関の研究助成金の申請も、受諾もしません。政府機関が科学的能力や人格に関係ない理由で、他の研究者の機密扱いでない研究に対する研究費を拒否する限り、政府機関からの助成金を拒否します。他の人に対してそのようなことをしている政府機関だとわかった段階で、既に受領した政府助成金の使用を止め、未使用分は政府に返却します。

 この16年後にエドソールは、他の大きなラボを運営している科学者にとっては難しいことだったが、自分の場合はこの立場を取ることは簡単だったと述べているが、それでも1955年にこのような表明をすることは、研究費が無くなるという可能性だけでなく、非常な勇気が必要だっただろう。とにかく、ジョン・エドソールのリーダーシップのせいもあってか、アイゼンハワー大統領はすべての政府機関に正当な手続きに従うよう要求した。エドソールに対する誹謗中傷はやみ、1年後にエドソールは公衆衛生サービスに研究助成金を申請し、認められた。科学者仲間の感謝の表れとして、アメリカ生物科学者協会(American Society of Biological Chemists)の会長に選出された。

訳者解説2

ウィリアム・ベア(William J. Bair: 1924-2015)についてHealth Physics Societyホームページに訃報記事(注2 [3])が掲載されているので、抄訳する。

ビル[ウィリアムの愛称]はオハイオ州で育ち、第二次政界大戦では陸軍兵士としてヨーロッパ戦線と太平洋戦に参戦し、終戦後にオハイオ・ウェズレー大学で化学を専攻した。その後、原子力委員会保健物理フェローシップを得て、ロチェスター大学大学院で学び、1954年に世界初の放射線生物学PhDを授与された。卒業後、当時ハンフォード・サイト[5-2参照] [4]の主要建設企業だったGE(ゼネラル・エレクトリック)に生物学者として就職した。彼の初期の研究テーマは吸入した放射性物質の健康被害だった。それは後にプルトニウム238とプルトニウム239の酸化物における生物学的違いという重要な発見につながった。これらの発見がICRPの肺モデルその他のモデルになり、科学的な防護基準を設定することに寄与した。ビルはアメリカ放射線防護委員会の委員(NCRP, 1974-1992)、ICRP委員などを務めた。

注1:David Eisenberg “Editorial: John Edsall and Protein Science”, Protein Science (1992), I, 1399-1401.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/pro.5560011101/pdf [5]

注2:Ronald L. Kathren, “In Memoriam: William J. Bair 1924-2015”
http://hps.org/aboutthesociety/people/inmemoriam/WilliamJBair.html [6]