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9-1-2 低線量放射線の被害を初めて証明した二人の科学者

妊娠中のレントゲンで胎内被ばくした子どもが小児白血病にかかることを1955年に発見したイギリス人アリス・スチュアートと、米ハンフォード核施設の作業員に低線量放射線によるがん死が増加していることを調査したトーマス・マンキューソが1977年に共同で出した論文によって、二人はイギリス・アメリカ政府と原子力ムラに迫害されます。60年後の現在、妊婦へのレントゲンについて、イギリス・アメリカ・日本はどう対応しているでしょうか。

訳者解説:マンキューソ・スチュアート・ニールの疫学調査

 9—1—1 [1]のインタビューで編集者が質問した「放射線従事者のリスクは以前想定されていたよりずっと高いことを示すマンキューソ・スチュワート・ニールらの研究」というのは、1977年に発表されたトーマス・マンキューソ(Thomas Mancuso: 1912-2004)・アリス・スチュアート(Alice Steward: 1906-2002)・ジョージ・ニール(George Kneale)の大規模な疫学調査結果「がんとその他の原因で死亡したハンフォード原子力施設従事者の放射線被ばく」(Radiation exposure of Hanford workers dying from cancer and other causes 注1 [2])と、そのデータの再分析(1978)を指す。

 スチュアートとマンキューソの訃報記事その他を紹介しながら、二人の画期的な研究が2000年代にメディアにどう評価されているかも併せて概観する。アリス・スチュアートの訃報記事は本国のイギリスの場合、『テレグラフ』(注2) [2]がA4サイズ4ページ、『ガーディアン』(注3) [2]が3ページ、アメリカの『ニューヨークタイムズ』(注4) [2]が1.5ページをさいて功績を詳細に報じている。

 『テレグラフ』は「95歳で亡くなった疫学者アリス・スチュアートは、低線量放射線被ばくの健康への危険性を世界に訴えるために、公権力からの妨害と敵意に抗して、孤独で長い闘いを闘い抜いた」と始めている。『ガーディアン』は「アリス・スチュアート:X線と放射線の危険性に関する研究によって原子力界を揺さぶった女性科学者パイオニア」という題名で、「95歳で亡くなったアリス・スチュアートは、小児がんとX線による胎内被ばくの関係を粘り強く調べ、証明して、診療の世界に変革をもたらし、世界的な名声を達成した」と始めている。

 『ニューヨークタイムズ』は『ガーディアン』とほぼ同じ始め方だが、題名は「アリス・スチュアート95歳:X線を病気と関連付けた」である。3紙とも、彼女がイギリス・アメリカ政府と原子力ムラから敵とみなされ、研究費は支給されず、地位も与えられないという逆境の中で低線量被ばくの危険性を証明し続けたことを讃えている。また、医学雑誌BMJ(英国医師会雑誌)も訃報記事(注5) [2]を出し、映画「アリス・スチュアート―真実を知りすぎた女性—」(2009)を製作している(注6) [2]

アリス・スチュアートの発見

 スチュアートがケンブリッジ大学医学部に入学した頃、男子学生300人に対し、女子学生はわずか4人で、女子学生が講義室に入ってくると、男子学生全員が足を踏み鳴らし、女子学生が座ると、机のふたをバタンとさせて抗議する時代だった(注5) [2]。卒業後、スチュアートはいくつかの病院で研修した後、オックスフォード大学医学部で教えるようになる。

 以下『テレグラフ』から翻訳引用する。1955年にオックスフォード大学社会医学科長だったスチュアートは、小さな子どもたちの間にリンパ芽球性白血病が急速に広まっていることに気づき、特に医療ケアが行き届き、子供の死亡率が低い地域に小児白血病が増加していることに驚いた。子どもの胎内医療に原因があると感じて、死んだ子どもたちの母親をインタビューする調査を始めた。後に「オックスフォード小児がん調査」として知られる。スチュアートと彼女のチームはイギリス中の公衆衛生局203個所すべてを訪ね、1953〜1955年に白血病で死んだ子ども全員のデータを集めた。調査の一部は母親に対するアンケート調査で、白血病以外のがんで亡くなった子どものグループ、元気な子どものグループも対象とした。スチュアートと統計学者のジョージ・ニールは調査結果に現れたパターンに驚いた。10歳以前にがんで死んだ子どもは胎内で2回もレントゲンを受けていたのである。レントゲン1回は公的に安全な制限値とされていたが、1回でも小児がんのリスクを2倍にするという結論を得た。

 スチュアートがこの調査結果を1956年に発表すると、科学者たちは懐疑的で、公の場で攻撃さえした。核技術は発展期で、巨大な既得権益が絡んでいたから、非常に低い線量でも健康にリスクがあるということは、科学界が聞きたくないことだった。しかし、彼らの耳を貸さない対応はスチュアートの決意を強固にするだけだった。その後の20年間、「オックスフォード調査」を続け、22,000人の子どもと大人、がんの被害者に関するデータを集め、その結果は最初の結論を支持するものだった。

 「オックスフォード調査」は次第に医学界と一般市民たちをレントゲンについて不安にさせ始めた。しかし、妊婦にはレントゲンを定期的に受けさせるべきでないとアメリカとイギリスの医学界が医師に対して忠告したのは1970年代後半になってからだった。これらの功績によって、1986年に第二のノーベル賞と称される「ライトライブリフッド賞」(Right Livelihood Award)をスウェーデン議会から受賞した時、他の受賞者にはストックホルム空港へ出迎えの車を送るイギリス大使館が、スチュアートのためには車を出さなかった。それはイギリス政府が彼女の研究を問題視したからである(『ガーディアン』)。後に医療現場を変革したこの研究には、物理学者、放射線学者、ICRP、強力な原子力ロビー、政府内も外も激しく抵抗反対した。

 『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション』(注7) [2]が1995年当時88歳のスチュアートをインタビューしている。「当時レントゲンは医者にとってお気に入りのおもちゃでしたから、[研究結果]は最初は不人気でした。その後、核兵器製造に研究の焦点を移すと、私はもちろん嫌われました。(中略)[私が続けられたのは]私が女だったことも多少関係していると思います。もし私が男だったら、耐えられなかったでしょう。大学を辞めていたでしょう。将来はなかったし、給料は低過ぎました。でも女だったので、選択の余地はありませんでした」と語っている。白血病はあまりに珍しい病気だからと、大学は「オックスフォード小児がん調査」の研究費を出さなかったため、スチュアートはチャリティ団体などからかき集めなければならなかった。彼女は教授の地位も与えられず、研究費にも苦労したが、「私は自分が正しいとわかっていますから、私の生きている間には認められなくても、いつかは私の研究結果が正しかったとわかる時がくると思います」と述べた。

マンキューソ:放射線研究を率いてきた人物

 スチュアートとマンキューソの接点は二人の訃報記事に詳しいので、『ニューヨークタイムズ』のマンキューソの訃報記事(注8) [2]とスチュアートの訃報記事の要点を抄訳する。

 トーマス・マンキューソは疫学のパイオニアで、核兵器製造施設の作業員が長期間、低線量被ばくを受ける影響の可能性をめぐって、連邦政府との間で激しい論争の中心にいた。

 第二次世界大戦まで、職業疫学、つまり、仕事場で起こる健康影響の研究は事故か急病が中心だったが、マンキューソ博士はその焦点を長期間の影響に移すきっかけを作った。このような研究は作業員が仕事を辞めた後何ヶ月も何年も追跡調査を行って、死因を調べる必要がある。過去の記録を調べ、現在に至るまで作業員を追う研究で、彼のアプローチは大きな進歩だった(注8) [2]

 1974年にスチュアートとニールがアメリカを訪問した時、ピッツバーグ大学医学部のマンキューソ教授がアメリカ政府の要請で行っていた大規模な調査のコンサルタントになってくれと二人に依頼した(注2) [2]。マンキューソはハンフォード核施設の作業員の健康影響について数年前から調査しており、アメリカ政府は彼の研究結果は広島長崎の被爆者の研究結果を裏づけるものになると信じていた。ABCC(原爆傷害調査委員会)の結論は原爆は爆発時の高レベル放射線の影響以外、何も被害はないというもので、それによって、放射線の「安全」レベルの国際ガイドラインの基礎ができたのである。その「安全」レベルというのは低線量被ばくを長期的に受けても何の被害もないという予想であった。

 二人のイギリス人がマンキューソのデータを見て、ハンフォードの低線量によるがんリスクは原爆研究が予想しているものの20倍[『ガーディアン』では10倍]だと結論付けた。この結果が公開されると、アメリカ当局は怒り狂って、マンキューソの地位を剥奪し、研究発表を禁じ、外部コンサルタントを使うことも禁じた。アリス・スチュアートは「アメリカでは私たちの肩を持つ人はすべて研究費を失いました。火あぶりの刑にはできないので、仕事を奪うという同じような仕打ちをしたのです」と語った(注2) [2]。二人はイギリスで、マンキューソはアメリカで、同じデータをもとに別々に研究を続けた。3人はハンフォード作業員の健康記録にアクセスするために10年にわたって官僚達と激しい闘いを続けたが、彼らの研究成果はやはり原爆研究が示すものよりがん影響がずっと高いものだった。彼らの研究結果は1978年と1979年に議会での調査に結びついたが、ICRPは決してこの研究を認めなかった。しかし、後年ICRPが公衆への放射線許容レベルを3分の2に減らしたのを見て、スチュアートは満足したという(注2) [2]

 マンキューソの研究は原子力委員会が財政支援していたが、この結論によって、1965年から続いていた支援を1977年に打ち切り、彼を解雇した。この事件は議会公聴会に発展した。原子力委員会が酷い仕打ちをしてから15年後の1992年に、マンンキューソはスチュアート、ニールと共同で論文を発表した。35,000人の作業員を対象にした調査で、低線量でも公的に認められた被害よりもずっと危険だという結論だった。衛生規制当局は受け入れなかったが、2000年にエネルギー省が放射線被ばくで病気になる人もいることを認めた(注8) [2]

BEIR委員会と原子力ロビーの関係

 「核情報と資料サービス」サイトの記事「放射線疫学とリスク推定の論争の歴史」(注9) [2]によると、BEIR(イオン化放射線の生体影響に関する諮問委員会)の審議にも問題があるようだ。BEIRレポートI(1972)は米原子力委員会が抑圧しようとしたゴフマン博士とタンプリン博士の論文(注10) [2]に対応する意味で準備された。

 BEIR III(1979, 1980)「低レベル電離放射線の国民に与える影響(自然放射線、医療放射線、職業被ばく)」はレポートが承認され公表されてから、政治的圧力で書き換えられた。その経緯を当時の委員長だったエドワード・ラッドフォード(Edward Radford: 1922-2001)の訃報記事(注11) [2]から紹介する。

 アメリカ国立科学アカデミーのBEIR委員会委員長だったラッドフォード博士が1979年に最初の報告書を提出した時、委員会の見解はアメリカ人口の1%の半分は原発やX線などの人工放射線によってがんになるというものだった。スリーマイル・アイランド原発事故の直後に発表されたこの報告書は、委員会の何人かによって厳しく批判された。21人の委員たちの見解の分裂が公になり、委員会は報告書を撤回して、翌年、リスク予測を半分に下げた結論の修正版を提出した。ラッドフォード博士はこの結論を拒否した。博士の見解は、線量がどんなに低くてもリスクはあるというもので、反対者の見解はしきい値があり、それ以下の放射線には害はないというものだった。

 この委員会の結論は核産業界にとって重要だった。なぜなら、委員会の結論は環境保護庁に採用されて、放射線防護基準が修正されるからである。委員の一人がラッドフォード博士について以下のように述べた。「もしガイドライン・レベルが博士の望むようなレベルに下げられたら、核産業など存在できなくなる」(『ニューヨークタイムズ』)。1980年に出された修正版はICRPの古いリスク値を踏襲した。ラドフォードはその後10年間、放射線のエスタブリッシュメント(機関)から追放された。彼に対する誹謗中傷が止んだのは、BEIR Vと他の放射線研究機関が彼の見解(低線量被ばくでがんになる)を支持してからだった(『ガーディアン』)。

 ラッドフォードは1960年代にウィルマ・ハント(Vilma Hunt 注12 [2])との共同研究で、1964年に発表した論文で、タバコの煙に含まれる自然放射線のポロニウム210が肺がんの原因かもしれないと突き止め、死亡解剖の結果、喫煙者の放射線レベルが非喫煙者の7倍高いことを証明した。ラッドフォードはまた、放射線影響に関する裁判で被害の証明をする役割も積極的に果たした。マーシャル諸島の核実験被害者の疾病や傷害が核実験によるものだと証言/証明したり、イギリスのセラフィールド核リサイクル工場の放射線被害について証言したり、ニューメキシコのナヴァホ・インディアンの子どもたちの疾病や奇形がウランの鉱さいのせいだと証言したり、オーストラリアにおけるイギリスの核実験の影響で障害を受けた元イギリス兵のアドバイスを行ったりした。ラドフォードは1984年にピッツバーグ大学環境疫学センターを退職した後、1年半の間、広島の放射線影響研究所で客員科学者として、広島長崎の被爆者のフォローアップ調査プロジェクトに参加した(『テレグラフ』)。

 BEIR IIIの大論争を紹介している松平寛通氏(当時放射線医学総合研究所所属)は「放射線リスク推定の最近の動向—BEIR III報告書を中心に―」(1981 注13 [2])で、この論争について「外人はいかにもしつこいなと思う反面、低線量放射線のリスク推定がいかにむずかしいかがよくわかる」と述べている。本サイトで紹介してきた核推進派科学者と反対派科学者との論争を知れば、人間の命よりも核産業の利益を追及する科学者たちに対して、子どもの命を守る良心的科学者たちの半世紀以上にわたる論争で、2016年の現在も続いていることがわかる。それを「外人はしつこい」というコメントで片付ける日本人専門家に牛耳られている日本の放射線防護分野の恐ろしさを印象付ける。ちなみに、この松平氏は放射線医学総合研究所所長を務め、ICRP主委員会委員でもあり、その上、低線量放射線は体によいという論の提唱者のようである。

英国・米国・日本における妊婦のレントゲンについての記述

 2016年現在、3国で妊婦のレントゲン撮影について公の機関がどう助言しているか概観する。

イギリス政府「国民保健サービス」(注14) [2]

● 妊娠中のレントゲンは避けるべきです。

● 保健ケア専門家がレントゲンの代わりに超音波検査などにした方がいいと助言するでしょう。

● 放射線による診断や治療は、出産を終えるまで待てるかどうか、保健ケア専門家がその決断をサポートます。

● 歯科医に妊娠していることを必ず伝えてください。たとえ歯科レントゲンが腹部や骨盤に影響しなくても、歯科医は患者が出産を終えてからにするのが普通です。

● 妊娠中のレントゲンは流産の危険性や、先天異常、肉体的知的発達異常など胎児への影響を増すことはありません。しかし、放射線に繰り返し被ばくすると細胞に損傷を与え、がんになるリスクを増やします。このため、レントゲンの放射線量をいつも出来る限り低くするのです。

● 妊娠中のレントゲンは胎児の被ばくリスクを少し高め、子ども時代にがんになる率を高めます。小児がんの自然リスクは500人に1人です。低線量レントゲン(10mGy以下)で増加するリスクは非常に小さい(10,000人に1人以下)。もっと高いレントゲン線量(10mGy以上)では、リスクも多少上がりますが、それでも低いまま(大抵の場合1,000人に1人以下)です。

● ほとんどのレントゲンで胎児が受ける被曝量は1mGy程度です。

● 歯科レントゲンは腹部や骨盤に影響を与えないため、鉛のエプロンを着けることはしなくなりました。また、線量は非常に小さいので、胎児に影響を与えることはありません。しかし、まれにですが、X線のビームの角度を骨盤にあてる必要がある場合、骨盤に影響を与えることもあります。出産するまで待てない歯科レントゲンなら、歯科医に言って、鉛のエプロンを着ける必要があるでしょう。

アメリカ食品医薬品局公衆衛生サービス「X線と妊娠とあなた」(注15) [2]

● 診断用レントゲンは患者の状態を知るために重要で救命に結びつく情報を医師に与えてくれます。しかし、診断用レントゲンには便益と共にリスクも伴います。医師が患者を治療するのに必要な場合だけ使うべきものです。

● あなたは妊娠中に腹部にレントゲンをする必要は多分ないでしょうが、時にはあなたの症状によって、医師は下半身のレントゲンが必要だと考えるかもしれません。あなたにも胎児にもリスクは非常に小さく、レントゲンによってあなたの症状を知るという便益はずっと大きいのです。実際は、必要なレントゲンをしないリスクの方が放射線のリスクよりずっと大きいのです(原文強調)。しかし、もしレントゲンが不必要なら、たとえどんな小さなリスクでも取るべきではありません。

● ほとんどのレントゲン、腕、足、頭、歯、胸などのレントゲンでは、あなたの生殖器官がレントゲンのビームで被曝することはありません。しかし、母親の下半身のレントゲン、お腹、胃、腰骨、背中下部、腎臓などで、胎児がレントゲンの直接のビームに被曝することがあるかもしれません。これは心配すべきことです。

● 診断用レントゲンで使われる低線量放射線が実際に胎児に被害を与えるかどうかについて、科学的見解は一致していません。しかし、胎児が放射線、ある種の薬品、過度のアルコール、 感染症などに非常に敏感だということは知られています。確かに部分的には正しいです。なぜなら細胞は急速に分裂し、特定の細胞や組織に発達していくからです。もし、放射線やその他の要素が細胞に変化を起こすとしたら、先天異常を起こしたり、生まれてから白血病などの病気になる可能性がわずかながら増加させるかもしれません。

● しかし、ほとんどの先天異常や子どもの病気は母親が妊娠中に被害をもたらすものに被ばくしていなくても起こるものです。科学者たちは遺伝や発達過程での偶発誤差がこれらの問題の原因だと信じています。

日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会『産婦人科診療ガイドライン―産科編 2011』「妊娠中の放射線被曝の胎児への影響についての説明は?」(注16) [2]

● 受精後10日までの被曝では奇形発生率の上昇はないと説明する。

● 受精後11日〜妊娠10週での胎児被曝は奇形を発生する可能性があるが、50mGy未満では奇形発生率を増加させないと説明する。

● 妊娠10〜27週では中枢神経障害を起こす可能性があるが、100mGy未満では影響しないと説明する。

● 10mGyの放射線被曝は、小児癌の発症頻度をわずかに上昇させるが、個人レベルでの発癌リスクは低いと説明する。

● 診断用放射線は、通常、50mGy以下の線量であり、誤って放射線治療を受けた場合や原発事故など特殊な場合を除き、胎児への影響は小さいと考えられる。

● ICRP84には、妊娠のどの時期であっても「100mGy未満の胎児被曝線量は、妊娠中絶の理由であると考えるべきではない」としている。

● 本ガイドラインでは、安全を見込み、(中略)「50mGy未満は安全」との記載にした。

● 放射線被曝による小児癌の発症を危惧する妊婦に対しては、「癌にならない確率」(被曝なしの胎児が20歳までに癌にならない確率は99.7%であるが、10mGy, 100mGy[実効線量100mSv]の胎内被曝により、それぞれ99.6%、99.1%となり、その個人が癌になる確率はごくわずかな上昇にとどまる)を例示するのも一法かもしれない。

注1:この論文はオープンアクセスではないので閲覧は難しいが、概要「米国ハンフォード原子力施設従事者の疫学調査」がATOMICA掲載されている。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-03-01-02 [3]

注2:”Alice Steward”, Telegraph, 16 Aug 2002
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1404528/Alice-Stewart.html [4]

注3:Anthony Tucker “Alice Stewart: Pioneering woman scientist whose research into the dangers of x-rays and nuclear radiation shook the establishment”, The Guardian, 28 June 2002,
http://www.theguardian.com/news/2002/jun/28/guardianobituaries.nuclear [5]

注4:Carmel McCoubrey, “Alice Stewart, 95; Linked X-Rays to Diseases”, The New York Times, July 4, 2002
http://www.nytimes.com/2002/07/04/world/alice-stewart-95-linked-x-rays-to-diseases.html [6]

注5:Caroline Richmond, “Alice Stewart”, BMJ, 325 (7355): 106, July 13, 2002
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1123602/ [7]

注6:イギリス医師会雑誌製作「アリス・スチュアート―真実を知りすぎた女性—」
BMJ(British Medical Journal)”Alice Steward: The woman who knew too much”, 2009
https://www.youtube.com/watch?v=proyrn2AAMA [8]

注7:Gail Vnes “A nuclear reactionary”(核の反動主義者), Times Higher Education, July 28, 1995, https://www.timeshighereducation.com/news/a-nuclear-reactionary/94686.article [9]

注8:Matthew L. Wald, “T.F. Mancuso, Who Led Radiation Study, Dies at 92”, The New York Times, July 7, 2004,
http://www.nytimes.com/2004/07/07/us/tf-mancuso-who-led-radiation-study-dies-at-92.html [10]

注9:”Controversial History of Radiation Epidemiology and Risk Estimation”,
http://www.nirs.org/mononline/appendixhisbeirletter1.htm [11]

注10:本サイト「放射線許容線量をめぐる論争の背景」参照のこと
https://noimmediatedanger.net/contents/156 [12]

注11:Carmel McCoubrey “Edward Radford, 79, Scholar of the Risks From Radiation”(エドワード・ラッドフォード、79歳、放射線リスクの学者), New York Times, October 22, 2001
http://www.nytimes.com/2001/10/22/world/edward-radford-79-scholar-of-the-risks-from-radiation.html [13]

Pearce Wright, “Edward Radford: Scientist at the frontier of pollution research”(エドワード・ラッドフォード―公害研究の辺境にいた科学者—)The Guardian, 30 November 2001
http://www.theguardian.com/news/2001/nov/30/guardianobituaries.research [14]

“Prof. Edward Radford, who has died aged 79, was an expert on the carcinogenic effects of radiation”(79歳で亡くなったエドワード・ラドフォード教授は放射線の発がん影響の専門家だった)Telegraph, 23 October 2001
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1360204/Prof-Edward-Radford.html [15]

注12:本サイトの6—5「訳者解説」 [16]を参照のこと。

注13:松平寛通「放射線リスク推定の最近の動向—BEIR III報告書を中心に―」『保健物理』16, 277〜290(1981) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps1966/16/4/16_4_277/_pdf [17]

注14:「あなたの健康、あなたの選択:妊娠中にレントゲンをしても大丈夫ですか?」(Your health, your choices: Can I have an X-ray if I’m pregnant?), National Health Service in England,
http://www.nhs.uk/chq/Pages/2294.aspx [18]

注15:「あなたの健康を守り促進する:レントゲンと妊娠とあなた」(Protecting and Promoting Your Health), Department of Health and Human Services, Public Health Service, U.S. Food and Drug Administration
http://www.fda.gov/Radiation-EmittingProducts/RadiationEmittingProductsandProcedures/MedicalImaging/MedicalX-Rays/ucm142632.htm [19]

注16:日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会(編)「産婦人科診療ガイドライン―産科編 2011」
http://www.jaog.or.jp/all/document/guide_2011.pdf [20], pp.44〜47.