8-6-4 チェルノブイリで無視されたIAEA提言(1991)を採用する日本(1)

チェルノブイリ事故から5年後のIAEA国際チェルノブイリ・プロジェクトの提言を、ソビエト政府は無視して、5mSv以上の土地の住民の移住を決定します。ところが、25年後に日本はこのIAEAプロジェクトの提言を全面的に採用しています。

放射線防護措置に関するディスカッション

 1991年5月21〜24日にウィーンで行われたIAEA国際チェルノブイリ・プロジェクトの国際会議(注1)は、それまでに準備されたテクニカル・レポートの内容報告とそのディスカッションが目的だった。会議のセッション6は事故による放射線防護措置を話し合うもので、主題は追加移住の是非だった。このテクニカル・レポートの放射線防護措置の章のうち、移住の措置に関する個所の担当者はジャック・ロシャール氏だったようだ。報告者として名前があがっている。ジャック・ロシャール氏は福島第一原発事故時にはICRPの第4委員会委員長で、2011年11月に日本政府の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」にアドバイスをし、その後、現在に至るまで20mSv推奨の立場から福島で積極的な活動をしている。しかし、1991年当時はフランスのNPO「放射線防護評価センター」(CEPN)所属としか記されていない。追加移住は認められないという主張が「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の結論である。

 防護措置を話し合う会議の主要点を抄訳する。福島原発事故後の対応につながる視点が見えてくるだろう。

A.J. ゴンザレス(IAEA):ついさっき、一昨日[セッション6は5月23日なので、21日]のイズベスチヤ[ソ連政府機関紙、1991年後はロシアの民間新聞]の記事の非公式翻訳を入手したんですが、これは今日のディスカッションに大きく関係する内容だと思います。一昨日、新たなソビエト法が発表されたと書いてあります。この法律によると、放射能に汚染された地域の住民の移住を決める線量が制定されるそうです。

(a) 平均線量が5mSvを超える地域の住民は移住が義務づけられ、資産損失に対して全額補償されること;
(b) 1mSvを超える地域の人々は住み続けてもいいし、希望すれば移住もでき、資産損失への全額補償もあること;
(c) 年間1mSv以下の地域の住民は特別な地位が与えられ、移住なしで特別手当と補償がもらえる。

 この法律の結果がどうなるか考えてしまいます。もしソビエト当局が住居内のラドン被ばくを管理するために、似たような政策を決定したら、どうなるでしょうか。UNSCEAR(国連科学委員会)が評価しているラドンの国際基準は1mSvで、ソ連の北の寒い地域では住宅は密閉していて、ラドンのレベルはそれより高いと思いますよ。ソ連の国内政治に立ち入るつもりはありませんが、放射線防護にとって、この法律がどんな含みを持っているのか、非常に心配です。この点について、タスク・グループ5の方々のご意見を伺いたい。

訳者解説:タスク・グループ5は防護対策調査グループで、メンバーはセッション6の発表をしたリーダー格のP. ヘデマン・ヤンセン(デンマーク、リソ国立研究所健康物理学部)、N.G. ケリー(欧州共同体委員会、科学・研究・開発部事務総長)、ジャック・ロシャール(フランス、NPO放射線防護評価センター)、G.S.フレンチ(イギリス、リーズ大学コンピューター研究学部)のようである。

ヘデマン・ヤンセン(P. Hedemann Jensen, デンマーク)
 2点コメントしたい。1点目はベルヤエフ博士[S.T. Belyaev,ソビエト原子力産業省原子力研究所]が仰った[強制移住は]「人権蹂躙」という声明です。その通りです。タスク・グループ5の結論は、はっきり、断固としています。考慮点がリスク軽減とコストだけに限られているのであれば、今以上に厳しい政策には、放射線防護観点から正当性が全くありません。強く反対すべきです。2点目は、新たな基準についてまだ評価していませんが、もしこの基準が更に厳しいものなら、正当化できるものではありません。

西脇安(IRPA国際放射線防護学会)
 費用対効果分析をする際に、かかわっている要素すべてがはっきりとわかっていてのことなら、問題はないと思います。しかし、放射線防護や核の安全性の場合のように、多くの要素は不確かなことが多いのです。この場合、「ファジー環境」においての意思決定という問題です。専門家が予想するリスクは客観的なリスクだと考えられるかもしれません。しかし公衆が見るリスクは主観的評価に基づいた主観的リスクです。主観的評価がなされた場合、従来の2値論理に従わないことがままあります。

 簡単な例をあげましょう。専門家にとって、世界中どこでも1ドルは1ドルです。公衆の場合、非常に貧しい人が捉える1ドルは富豪の捉える1ドルと全く違います。同じように、専門家が予測するリスクは公衆が予測するリスクと全く異なる概念です。同じ言葉が使われていてもです。この違いを考慮しなければなりません。この問題を解決するために、心理的影響の構造について科学的な研究をする努力が一層求められます。

訳者解説:西脇安(にしわき やすし:1917〜2011)氏は「核兵器廃絶運動の端緒を作った科学者」と称され、福島第一原発事故の2週間後に94歳で亡くなったという。原発事故のテレビ報道を見入っていて、「怖くて声すら掛けられない雰囲気」だったという(注2)

 戦時中に日本陸軍の核開発研究に関与したが、彼が行っていた原子核の実験研究が占領軍によって禁止されたために、放射性物質の研究が認められていた医学分野に進み、現大阪市立大学医学部で放射線が生物に与える影響を研究した。1954年3月にアメリカのビキニ環礁水爆実験で被ばくした第五福竜丸が焼津港に戻ってすぐに、西脇氏は焼津に行って放射能測定をし、即座にアメリカ原子力委員会宛に「核種が知りたい、除染方法と健康被害を抑える方法を教えてほしい」と手紙を出したという。3ヶ月後にはヨーロッパを巡って、様々な所で第五福竜丸の被ばく実態と水爆の恐ろしさを訴えた。西脇氏が欧米に与えたインパクトについては、注2の資料を参照してほしい。

 「国際チェルノブイリ・プロジェクト 国際会議」議事録にY. Nishiwakiと記載されている人物が西脇安氏と考えられる理由は、1968年に科学技術庁の要請でIAEAに派遣され、IAEA「保健・安全廃棄物処理部(後の核安全・環境保護部)の副部長に就任して、1977年までIAEAに所属し、1978年からウィーン大学客員教授として研究活動を続けていた」こと、上記の「国際チェルノブイリ・プロジェクト」での発言内容と重なる論文「原子力使用に対する公衆の態度におけるファジー測度分析」(Fuzzy Measure Analysis of Public Attitude towards the Use of Nuclear Energy)を1996年4月開催の国際放射線防護学会で発表していること(注3)などである。

放射線防護措置に関するIAEAの結論と勧告

 8—6—2で紹介したように、ロシア政府のチェルノブイリ報告書(2006)によると、1991年のIAEA, ICRPの提言と評価は批判され、無視された。実際に「国際チェルノブイリ・プロジェクト」でIAEAがソ連政府のチェルノブイリ法(その後ロシア・ウクライナ・ベラルーシ法に引き継がれる)にどんな評価をし、どんな提言をしているのか、「公衆を守る措置」の章を翻訳紹介する。

「公衆を守る措置」

(注4)
 国際諮問委員会は[ソ連政府によって]今までに採られてきた防護措置、または、今後長期間に計画されている防護措置は、たとえ善意から出たものであっても、放射線防護の観点から、厳密に必要とされるレベルを超えている。移住と食品規制はもっと範囲をせばめるべきだった。このような措置が実施されたことは、放射線防護の点で、正当化されない。しかしながら、公衆が現在抱いている期待と、汚染地域の住民のストレスと不安のレベルが高いことを考えると、現行の政策を少しでも緩めれば、必ずや逆効果になるだろう。しかし、多くの社会的政治的要素を考慮に入れなければならないこと、そして、最終決定は政府にあることを認めなければならない。いずれにせよ、将来導入される修正案は更に制限的な基準にすべきではない。

 より具体的な意見として、食品規制の緩和が考慮されるべきという点も加えられた。これは、健康・社会・経済効果を考えた時に移住に代わる望ましい措置である。汚染地域の国内生産食品の消費に関する制限を続けることは、ある人々にとっては、生活の質が深刻に悪化することを意味する。この問題を改善するには、事故以前の生活様式がもし現実可能なら、再開する努力のできる場所に移住することしかないかもしれない。食品制限に比較的低い限界値を採用したことは、これらの問題を悪化させたかもしれない。本調査でわかったことは、食品制限の適切なレベルに関する国際的な混乱と誤解が当局にとって問題を更に難しくしたことである。将来、明らかに必要なのは、もっと明確なガイダンスである。

 この他、公衆に対する情報の質と量を改善すべきという提言である。特に、汚染地域に住み続ける人々に受け入れられるような影響力を持つ要素が何か、分析する必要がある。

 線量とリスクに関する比較レベルについて、より現実的で包括的な情報が公衆に与えられなければならない。このリスクは日常生活の中で経験するリスクと比較されなければならない。また、大都市周辺で一般的に起こる産業汚染やラドンなどの環境汚染によるリスクとの比較も必要である。

訳者コメント:これが放射線防護の国際的最高レベルの専門家たちによる「科学的」な提言だというが、素人市民には非科学的、非論理的、非人道的な文章としか読めない。本訳者に読み取れた点を箇条書きにしてみる。

1. ソ連政府が年間5mSv以上の被ばくを避けさせる措置を決定したことは「放射線防護の観点」から認められない。放射線防護の観点からは、もっと高線量で長期間被ばくさせても構わない。

2. 食品汚染レベルをできるだけ低くしようとする措置も放射線防護の観点からは正当化できない。住民が以前の生活を取り戻すためには、汚染度の高い食品を食べるべきなのだ。

3. 食品の放射線汚染規制を緩めろ=食品の流通・消費のためには、内部被ばくの増加は大幅に許容すべきだ。

4. 食品の汚染度を高めることによって移住させなくても済む。移住を回避するためには、土壌汚染の高い地域の住民が、汚染された地域の食品を食べることは推奨されなければならない。

5. 放射線防護の目的は公衆の被ばく許容量をできるだけ大きくして、「防護」基準として公的、一律に設定し、認知させること。

6. 森のキノコやベリーなどの消費を制限したことは、住民の生活様式を悪化させた。汚染度の高いキノコやベリーなども自由に好きなだけ食べるような、事故前と変わらぬ生活様式を維持することを推奨するべきである。

7. 食品の消費制限をすべきではない=高度の内部被ばくは問題にすべきではない。

8. 国によって食品内の放射能汚染レベル制限が異なることはまずいので、一律的に高い汚染レベルのガイダンスを作成すべき。食品規制の厳しい国があることは、他国の住民に比較の視点を与えてしまう。ある国が勝手に国民の防護をより厳密にすることを決めたりできないように、高汚染度を世界基準にすべき。そうでなければIAEAが担う国際的な原発推進政策が困難になる。

9. 汚染地域に住民が住み続けるように、安全だと思わせる情報を作る必要がある。

10. 放射線の危険度は交通事故や喫煙などの日常的なリスクに比べて低いこと、工場排水や煙からの環境汚染に比べて低いこと、ラドンなどの自然放射線ももともと自然界にはあることを公衆に訴える努力が必要だ。

注1:『国際チェルノブイリ・プロジェクト 国際会議録』The International Chernobyl Project: Proceedings of an International Conference held in Vienna, 21-24 May 1991 for presentation and discussion of the Technical Report, Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures, 1991
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub894_web.pdf

注2:山崎正勝他「核兵器廃絶運動の端緒を作った科学者 西脇安」『Isotope News』No.733, 2015年5月号 http://www.jrias.or.jp/books/pdf/201505_RIJYUKU_YAMAZAKI_HOKA.pdf
年譜については、「東京工業大学博物館 特別企画展示 核時代を生きた科学者 西脇安」(2014年10月11日)に詳しい。
http://www.cent.titech.ac.jp/DL/DL_Publications/cent_pamphlet201410.pdf

注3:Y. Nishiwaki et al. “FUZZY MEASURE ANALYSIS OF PUBLIC ATTITUDE TOWARDS THE USE OF NUCLEAR ENERGY”(原子力使用に対する公衆の態度におけるファジー測度分析)、http://www.irpa.net/irpa9/cdrom/VOL.4/V4_341.PDF、この論文は1996年4月にウィーンで開催されたIRPA 9(国際放射線防護学会)会議で報告されたようで、IRPAのホームページにこの論文が掲載されている。
http://www.irpa.net/page.asp?id=54305

注4:”General Conclusions”, Chapter Five: Protective Measures, The International Chernobyl Project An Overview: Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures, Report by an International Advisory Committee , IAEA, 1991, pp.42-45.
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub884e_web.pdf

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