6-14-2 訳者解説:ペンシルベニア州知事が放射線被害事実調査委員会を設置

スターングラス博士は原発による健康被害の調査報告をペンシルベニア州知事に送り、知事が調査委員会を設置することになました。このニュースが他の都市に広まって、市民団体がスターングラス博士を招いて公開講演会を開き、原発推進派との間で論争がおきます。

乳児死亡率の急増と調査委員会の設置

 シッピングポート原発周辺の放射線量が異常に高いこと、近くのアリクイッパ[Aliquippaペンシルベニア州]の乳児死亡率が急増したことについて、市民の関心が高まっていった。

 スターングラス博士は集めた資料をレポートにして、1973年1月にペンシルベニア州知事のミルトン・シャップ(Milton Shapp: 1912-1994)に送った。春になると、シャップ知事は事実調査のための「シャップ調査委員会」を設置し、独立系科学者と公衆衛生の専門家を任命して、この問題について公聴会を開き、2,3ヶ月中に独自の報告書をまとめると公表した。

 スターングラス博士が調査したアリクイッパは原発の東、風下10マイル(16km)に位置する。ここの乳児死亡率の最新の数値は大変なものだった。

  • 1970年と1971年は、放射線量が高い時期で、20年で最も高い率、1000人の出生数につき、それぞれ44.2人、39.7人の死亡率だった。州の平均が19.9と18.2だから、2倍以上になる。
  • 1949年と1952年は製鋼工場からの空気汚染がもっとも酷かった頃だが、シッピングポート原発の運転開始前には、アリクイッパの乳児死亡率は1000人の出生数に対して16人だった。

 原発推進派の常套手段は、白人と非白人の違いが乳児死亡率の違いを生むという論だった。しかし、スターングラス博士の調査によると、アリクイッパの場合は人口構成の変化によって説明できるものではなかった。この町の人口構成には変化がなく、1960年の非白人系は全人口の21%、1970年には22%だった。ペンシルベニア州とアメリカ全体では、アメリカとソ連が大気圏核実験を停止した後、乳児死亡率は白人も非白人系も同じく、[核実験]以前の数値に戻り始めたのである。

公開講演会での論争

 このニュースはオハイオ川沿いのシッピングポートの下流の都市にも届き、スターングラス博士はこの発見について、4月にシンシナティ大学で公開講演を頼まれた。この町が飲料用にしていた川の上流に建設予定のジマー原発(注1)を心配する地域の環境団体と大学の教授たちの招待だった。

 博士のプレゼンが終わると、化学原子力工学部の研究者たちが博士の発見を攻撃し始めた。曰く、ペンシルベニア州政府や連邦政府の保健機関が、博士の過去の申し立てには根拠がないと言っている。曰く、特に、保健物理学会(Health Physics Society)、米国小児学会(American Academy of Pediatrics)、米国科学アカデミー(National Academy of Science)、原子力委員会(Atomic Energy Commission)、環境保護局(Environmental Protection Agency)のような権威ある組織が批判している。

 放射線化学・原子力工学研究センター所長のバーンド・コーン(Bernd Kohn)博士は「どのケースでも、疫学専門家は同じデータを使って論駁した」と言った。しかし、同席していたコーン博士も他のエンジニアたちも説明できなかったのは、なぜシッピングポート周辺だけがストロンチウム90, セシウム137、ヨウ素131の値が異常に高いのかという点だ。彼らは、中国の核実験による放射性降下物のようだと言うだけだった。

司法長官と原子力委員会が疑惑を否定

 スターングラス博士がこのデータをシンシナティ市長のセオドア・バリー(Theodore M. Barry)に見せると、オハイオ州知事のジョン・ギリガン(John J. Gilligan)に手紙を書いて、オハイオ環境保護庁で調査をするよう要請した。また、シンシナティ・環境タスクフォースの省エネルギー委員会の議長が、モリス・ドグルート(Morris DeGroot)博士とスターングラス博士が調査した、シッピングポート原発やその他の原発の放射線データとがん死亡率の変化のデータを見た後、ジマー原発の運転認可の公聴会にシンシナティ市が参加するよう勧告すると言った。

 翌日、『シンシナティ・インクアイラー』紙は第一面に二つの見出しを掲載した。「ミッチェルはウォーターゲートの盗聴計画の認識を否定」(注2)、その真下に「原子力委員会はオハイオ川の放射能汚染を否定」と掲載された。

 原発からの「放出量ゼロ」という公式声明と、ニュークリア・サービス社N.U.S.(注3)が発表した、シッピングポート周辺の土壌、ミルク、河川堆積物中のストロンチウム90が通常以上だったことは大きな矛盾で、この事件とウォーターゲート事件が偶然に並べられたのは不吉だった。今までにわかった事実は、インクアイラー紙に書かれている原子力委員会の主張「シッピングポート原子力発電所からの放出『放射性物質』は公衆に被害がないよう注意深く管理されている」と矛盾している。

 この新聞記事はさらに続けて「放出放射線量は極端に少ないので、スターングラス博士が言うような危険は起こらない」と書いていた。これはネバダ州で核実験をする時に原子力委員会が発した不安軽減宣言と全く同じだ。

シャップ調査委員会

 シャップ調査委員会のヒヤリングが1973年7月31日に始まった。議長は州の保健部長、レオナルド・バックマン(Leonard Bachman)博士だった。議長を入れて7人の委員会だったが、そのうち5人が州政府外の独立系の大学所属科学者で、そのうち3人だけが放射線の人間に及ぼす研究分野の経験があった。

  • カール・モーガン博士:ジョージア工科大学原子力工学部の保健物理の教授で、『保健物理』誌の編集長、国際放射線防護学会の初代会長、原子力委員会のオークリッジ国立研究所の保健物理部長を1944〜1973年まで務め、放射線問題、制御、計測に最も長くかかわってきた。
  • エドワード・ラドフォード(Edward Radford)博士:放射線と人体への影響の分野で次に長い経歴を持っていた。ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生学部環境医学の教授で、放射線の健康影響の専門家であり、後にアメリカ科学アカデミー電離放射線生物学的影響委員会(BEIR)の委員長になる人物だった。
  • モリス・ドグルート(Morria DeGroot)博士:最近この分野の経験を持った、カーネギー-メロン大学統計学部長、数学統計学教授。
  • ポール・コーティン(Paul Kotin)博士:フィラデルフィア州テンプル大学保健科学センター副センター長の病理学教授で、国立がん研究所と環境保護局のコンサルタントをしていた。
  • ハリー・スミス(Harry Smith)博士:ニューヨーク州トロイのレンセレアー工科大学経営学部長、生物統計学者として長年保健分野で活躍し、アメリカ政府の保健教育福祉省の保健統計国立センターのコンサルタントでもある。

 委員会の科学パネルには官僚サイドからも参加し、ペンシルベニア州保健長官のJ.フィントン・スペラーM.D.(J. Finton Speller:医師資格M.D.)とペンシルベニア州環境資源長官のモーリス・ゴダード(Maurice Goddard)だった。

 この時スターングラス博士はまだ知らなかったが、この委員会の科学者委員専属の独立[中立的]スタッフを雇う予算がなかったために、この二人の州政府役人のスタッフが調査委員会の最終報告書を準備することになった。報告書の放射線関連部分は州の放射線保健局長のトーマス・ゲラスキー(Thomas Gerusky)、そのアシスタントで、放射線保健局の環境調査部長のマーガレット・ライリー(Margaret Reilly)が担当し、ゴダードに報告することになっていた。健康被害の部分は疫学研究局長に就任したばかりのジョージ・トクハタ(GeorgeK. Tokuhata)博士だった。

 この3人とも、スターングラス博士のそれまでの、低線量の放射性降下物と原発からの放出放射線による健康被害に関する発見を公に否定していた。後に『ビーバー郡タイムズ』紙に報道されたが、この3人がシッピングポート原発に関連する健康被害はないという見解の草案を出したために、最終報告書の公表が何度も延期されたのだ。この3人はまた、後にスリーマイル島原発事故の時に原子力産業を擁護するキー・パーソンとなった。

注1:ジマー原子力発電所は8年後の1984年に、建設間近にもかかわらず、原子力発電所としてでなく、火力発電所に変わることになった。『ニューヨーク・タイムズ』(1984年1月22日)によると、97%まで完成に近づいていたジマー原発を、連邦政府の規制基準にあわせるためには膨大な費用がかかることと、連邦政府から運転認可が得られるか不確かなため、シンシナティ・ガス電気会社(Cincinnati Gas and Electric Company)は、火力発電所に変える決断をした。原子力産業にとって、この年(1984年)に入ってから3度目の挫折だ。その週の初めに、インディアナ州のマーブル・ヒル原発が資金枯渇のため廃止され、前週はイリノイ州のコモンウェルス・エジソン原発が完成間近で運転認可を得られなかった。

出典:「完成間近の原子力発電所が石炭を燃やす発電所に変更」”Nearly completed Nuclear Plant will be Converted to Burn Coal”, New York Times, January 22, 1984
http://www.nytimes.com/1984/01/22/us/nearly-completed-nuclear-plant-will-be-converted-to-burn-coal.html

注2 ウォーターゲート事件
 1972年6月18日の『ワシントン・ポスト』掲載記事(ワシントンのウォーターゲートにある民主党事務所の盗聴を企てた5人が逮捕された)がきっかけとなり、ニクソン大統領(当時)が再選目的で大統領はじめ側近たちが企てた様々な出来事がスクープ記事となって、大統領が辞任に追い込まれた事件。

 ジョン・ミッチェル(John Mitchell)は司法長官で、民主党に関する情報収集のための裏金を管理していた。この事件をスクープしたワシントン・ポストの2人の記者をロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが演じ、『大統領の陰謀』(原題All the President’s Men, 1976)という映画になっている。
出典:「ウォーターゲート物語」『ワシントン・ポスト』
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/politics/special/watergate/part1.html

注3 NUS(Nuclear Utility Services Corporate ニュークリア・サービス社)は世界有数の原子力推進のコンサルティング会社で、日本の原子力開発コンサルティング会社JANUS(日本エヌ・ユー・エス株式会社)の出資者は東京電力、日揮株式会社と共にNUSで、JANUSは日本のNUSという意味で命名された。
出典:JANUSホームページ 
http://www.janus.co.jp/eng/history

抄訳出典:Secret Fallout: Low-Level Radiation from Hiroshima to Three Mile Island, 1981の15章「シッピングポートの放射性降下物」
http://www.ratical.org/radiation/SecretFallout/