6-14-4 訳者解説:調査委員会ヒヤリングから報告書まで

調査委員会ヒヤリングで原子力委員会側の証言者は、健康被害と放射能の関係を否定しましたが、内部告発者がヒントを与えてくれて、原発認可のためのヒヤリングで隠されていた放射能漏れの事実が明るみに出されました。それでも、原子力推進勢力に市民が負け、死亡率の増加という結果になります。

証言2:ブロス博士の証言

 次の証言者はアーウィン・ブロス博士だった。ニューヨーク州バッファローのロスウェル・パーク・メモリアルがん研究所の有名な生物統計学者だ。彼も長年、低線量が小児白血病に与える影響を研究していた。

 ブロス博士は放射線に対する感受性は、年齢と過去の病歴によって、大きく異なると述べた。この事実だけでも、低線量被ばくの影響を大きな人口に当てはめて推定することが無効だとわかる。なぜなら、このような推定は平均的成人が高線量を被ばくしたという仮定と、線量と影響の直線関係をもとにしているからだ。非同質的グループでは、健康な若者のような抵抗力の強い者は明らかな影響を示さないが、幼い子供や老人や、免疫不全、アレルギーその他の特別な症状の人は予想外の大きな影響を示すかもしれない。ブロス博士は証言の2,3週間前に『ニューヨーク・タイムズ』紙に「『平均的な人』が『平均的な被ばく』を受けたと想定した『安全なレベル』を計算することは、保護を最も必要とする子どもや大人を守ることにならない」と書いた。

証言3:原子力委員会の証言者

 次の証言者はアメリカ原子力委員会生物医学部の副部長で、すべての生物医学と環境に関する研究の責任者であるW.W.バー, Jr(W.W.Burr, Jr)博士だった。

 『ビーバー郡タイムズ』紙の記者によると、この証人は「スターングラス博士による、シッピングポート原発から放出された放射線量と、乳児死亡率とがん死亡率の増加の明らかな関係についての陳述すべてを『支持できない』と言った」という。そして、バー博士は、ニュークリア・サービス社(N.U.S.)が提出した「間違った」テスト・データが1971年に出版された後でいくつかの追跡テスト(follow-up tests)をした結果、「原発周辺にはそのような高レベルの放射性物質は存在しなかったことが証明された」と発表した(6—14—5参照)。

 これが、その時、原子力委員会が選んだ解決方法で、スターングラス博士らはずっと後になって知ったことだったが、ニュークリア・サービス社・電力会社・環境保護庁・ペンシルベニア州が送り込んだ証人はいずれも同じ証言をした。それは事前の秘密会議や内部メモで同意したことだったのだ。独立系科学者/証人のデータが高線量の存在を示したり、死亡率の増加を示すと、信頼できないとか無意味とかと言って、ことごとく否定した。

原子力産業はウォーターゲート事件の匂いがする

 『ヴィレッジ・ヴォイス』(Village Voice)誌の記者アンナ・メイヨー(Anna Mayo)は、その2,3ヶ月後に出版された記事の中で次のように書いている。

 「読者も想像したように、このヒヤリングはウォーターゲートの匂いがした。聞いていた環境団体の市民たちは歯ぎしりをして、シッピングポート・ホラー(恐怖)が全国テレビで暴露されてほしいと願った。デューケイン電力会社(Duquesne Light)が隠蔽しているなら、その他の原発が問題になった時に、他の電力会社も同じことをするのではないだろうか」。

 確かに大きな問題になるだろう。1973年には38基の新たな原子炉が発注過程にあり、それぞれ10億ドルのビジネスの可能性のある原発建設が1年間で発注される数として最多だったのだ。その上、ニクソン政権と原子力産業界が公言していた野望で、20世紀末までにアメリカ全土の都市周辺に1000基の原発を稼働させることになっていた。1兆ドルがかかっている時に、危険を最小限に食い止めようとすることは誰にとっても難しいことだった。

内部告発者の提案

 ヒヤリング[1973年7月31日]が終わって、2,3週間後にある人物からスターングラス博士のところに電話があった。

 その人物は、ヒヤリングで明るみに出たことは正しい方向だが、高線量放射能についての真実は、その年の末に予定されている原子力委員会による認可のためのヒヤリングに原子力発電所運転員を証言台に立たせることで手に入れることができると言った。

 スターングラス博士たちがしなければならないのは、運転員を証言台に立たせて、宣誓をする証人尋問の中で、放射性ガスの処理システムについて尋ねることだった。放射性ガスは何週間も保管タンクに入れて、半減期が短い放射性核種が崩壊するのを待ってから、モニターした排気筒から放出することになっているが、その貯蔵タンクに何か異常が見られなかったか聞くことだった。そこで、スターングラス博士はガス処理システムの詳細な製品図面を手に入れ、その複雑なシステムについて、ヒヤリングで尋問を担当するピッツバーグ市のアル・ブランドン(Al Brandon)弁護士に説明した。

運転認可のための尋問

 運転員たちは最初、何も異常はなかったと言っていたが、ブランドン弁護士が、ガス貯蔵タンクから洩れていたのではないかと迫ると、一人が心配になったことを話し始めた。

 1970年末から1971年初めにかけて、原発の記録の中で、放射性ガスの放出記録の量が異常に下がったことに気付き、上司に伝えると、心配するなと言われたこと、その状態が2,3週間続いたので、ガス貯蔵タンクを自分でチェックしたら、放射性ガスが実際にタンクから洩れていたのを発見した。それを上司に報告すると、上司が対応するので、今後心配しないように言われた。

 この上司たちはこの事件を覚えていないと言い、その晩の地方紙は原発職員は原発に問題はないと証言したと報道した。この尋問で宣誓した上で証言したニュークリア・サービス社(N.U.S.)の副社長、モートン・ゴールドマン(Morton Goldman)博士はアメリカ保健教育社会福祉省の公衆衛生の役人だった。彼の証言は、N.U.S.の最初の高線量の報告は間違いで、異常な放出も、報告されない放出もなかったという原発監督者たちの証言を裏付けた。そして2,3ヶ月後には原子力委員会が新しい原子炉を認可した。

原子力推進の対価は乳児と作業員の死亡率増加

 今度も原子力産業がこの特別法廷での闘いに勝利した。

 この法廷は原子力委員会が牛耳り、判事も職員も規則も、原子力を推進し原子力産業を守るためのものだった。負けたのは市民で、認可がおりて2年後、N.U.S.によって高線量が検出されて5年後に、広島の場合と同じぐらいの遅れで、ビーバー郡とピッツバーグのがん死亡率が2回目のピークを示した。ビーバー郡では23%上がり、ピッツバーグでは前例のない9%の上昇がわずか3年の間に起こった。化石燃料や化学物質による空気と水の汚染を長年かかって多額の費用をかけて減らしたのに、がんの死亡率が10万人につき304.8人という最高記録を示したのである。

 しかし、最も重い対価を払わされたのはシッピングポート原発の作業員だった。

 このヒヤリングの7年後に、スターングラス博士が骨髄性白血病で亡くなった作業員の遺族の代理人として、労災の審査準備をしていた時見せられたのは、1970〜1979年の間に亡くなった21人の運転技術者の死亡診断書だった。全員が原発敷地内で、放射性廃棄物の移動や、放射能漏れをしたポンプやその他の重機の除染作業をしていた。これら22人[労災申請中の作業員を含め]のうち、10人ががんで死んでいた。これは通常の2倍の数だ。さらに重要なのは、10人のうち4人が骨髄関連、つまり、多発性骨髄腫や骨髄性白血病で亡くなったのだ。この病気は放射線によって最も簡単にかかる病気として知られていた。この種のがん20件につき、1件以下というのが通常だった。

 シッピングポートで働く男達はこれらの事実をよく知っていた。彼らの間でよく言われていたのは「高い給料、早い死」だった。

調査委員会報告書

 予想通り、知事の調査委員会の報告がようやく1年後に出たのは、ビーバー・ヴァリー原子炉1号機と2号機に認可が下りた後だった。シャップ知事が1974年6月に報告書を公表した。委員会報告書の要約が報告書全体の調子を表していた。ある限定的な言葉を挿入することで、急いでいる読者には見落とされるが、それらを用心深く選んだ事務方の3人は、委員たちが署名を拒否できないような、受け入れ可能な言葉を使っていた。たとえば、「実質的(substantial)」「系統的(systematic)」「顕著(significant)」のような言葉で、第一行目の文章は「シッピングポート原子力発電所が放出した放射性物質の量が事業者によって報告された量より多いという実質的証拠はない」。しかし次の文章が、事態を憂いている委員の良心を満足させるように「しかしながら、原子炉が運転している間、敷地外(off-site)の包括的モニタリングがないことは、放出量のデータの正確な確認を不可能にしている」と続く。長いけれど決定的でない報告書はこの調子で最後まで続いていた。

 報告書は原子力発電所のモラトリアム(一時停止、延期)を要求しなかった。アンナ・メイヨーが記事の中で予想した通りの結果だった。彼女は痛烈に書いている。「せいぜい期待されることは、さらなる研究をしてほしいという控えめな懇願だ。それはつまり、もっと死体がほしいとうるさく懇願するに等しい[本文の直訳は死体し好症的なあら探し:necrophiliac nitpicking]。

出典:Ernest Sternglass, Secret Fallout: Low-Level Radiation from Hiroshima to Three Mile Island, 1981の15章「シッピングポートの放射性降下物」
http://www.ratical.org/radiation/SecretFallout/

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