2014年7月30日開催の原子力規制委員会で、田中俊一委員長が現行の緊急作業時の作業員の被ばく線量限度が100mSvのままでいいのか、IAEAなどの国際的基準では500mSv, ICRPは500mSvから1000mSvとしていることを紹介して、「緊急事態の現実的な対処のあり方を検討」すべきと提案した(注1)。
田中委員長のコメント中、重要なのは、「原子力緊急事態が現在も継続中であること」「線量限度の値[現行の100mSv]の妥当性・あり方、緊急時被ばくを受ける作業員の意思を確認する方法」について検討すべきと発言している点だ。現行の緊急事態の被ばく限度を見直す理由として「それ[100mSv規制]を上回るような事故が起きた場合に備えて」とも言い、更なる過酷事故を想定しておくべきだと言っている。
この提案は会議の議題にもあげられておらず、資料もない中で、会議の最後に突然出された。唐突に見える提案の伏線は、事故前の放射線審議会で承認された放射線基本部会「国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub. 103)の国内制度等への取入れについて―第二次中間報告—」(2011年1月28日)の提言と、事故後(2011年3月22日〜4月28日)に経済産業省と厚生労働省の間で交わされた議論にあるようだ。また、2011年4月29日にニュースになった小佐古内閣官房参与の20mSv引き上げに反対する辞意表明の中でも、緊急時における作業員の被ばく限度に関する政府行政の対応について批判しているので、時系列で見てみよう。
基本部会第二次中間報告の「2.2.3 緊急時被ばく状況」について基本部会は、「緊急作業に従事する者に許容する実効線量を100mSvを上限値として設定する必要がないことが国際的にも正当化されている中で、その上限値を100mSvとする我が国の現行の規制は、人命救助のような緊急性及び重要性の高い作業を行ううえで妨げとなる。このため、我が国における緊急作業に従事する者に許容する線量の制限値について、国際的に容認された推奨値との整合を図るべきである」と提言し、放射線審議会で承認された。
・ 2011年3月14, 16日:厚生労働大臣と経済産業大臣から3月14日付けで、人事院総裁から3月16日付けで、放射線審議会・丹羽太貫会長宛に諮問が出された。緊急作業時における作業員の被ばく限度を、それまでの100mSvから250mSvに上げる主旨であった。丹羽太貫会長名で「妥当」という答申があり、2011年3月15日付けで、「厚生労働省令第23号」が発表され、施行は3月14日とされた(注3)。
・ 2011年3月22日〜2011年4月28日:原子力安全・保安院(経済産業省)と厚生労働省の間で、作業員の被ばく線量限度をめぐる攻防があった(注4)。
・ 2011年4月29日:小佐古敏荘内閣官房参与の辞任表明の中で、放射線審議会基本部会の中間報告書で緊急時被ばく限度が「500mSvあるいは1Svとすることが勧告されて」いるのに、放射線審議会の答申として250mSvを妥当とし、「今になり500mSvを限度へ」という議論が始まっているのは、「場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える」と批判(注5)。
・ 2011年12月16日:緊急時作業の被ばく線量限度を特例の250mSvから100mSvに戻す。(注6)。
・ 2014年7月30日:第18回原子力規制委員会の田中俊一委員長の緊急作業の被ばく限度量の引き上げが提案された(注1)。
事故の1.5ヶ月前の放射線審議会基本部会の提言
500mSv〜1000mSvへ引き上げ:
事故の1.5ヶ月前に放射線審議会基本部会が、緊急時の作業員被ばく線量限度を現行の日本の規制値100mSvから「国際的に容認された推奨値」へ上げよと提言した。その報告書の「解説」によれば「ICRPは、2007年勧告において、(中略)緊急救助活動に従事する者の線量として(中略)500mSv又は1000mSvを推奨」、IAEAも「重篤な確定的影響の防護のための活動及び壊滅的状況への発展を防止するための活動に対する線量として500mSv以下とすることが推奨」されていると記され、基本部会の推薦値と読み取れる(報告書p.8)。
健康リスクに同意して志願:
ICRPやIAEAの勧告には、緊急時に作業する者は「志願する者」であり、「活動に従事することで発生する可能性のある健康リスクについて理解し、緊急業務に従事するための訓練を受けた」者とされている。リスクを承知で志願したのだから、事業者側が作業員の病気や死亡による賠償に応じる義務はないとするのが目的の「要件」設定ということだろう。
この点について基本部会は「緊急作業に従事する者は、原則として緊急作業に志願した放射線業務従事者に限り、その者の要件は、『当該作業で発生する可能性のある健康リスクを理解し、それを受け入れる者』とするべきである」(p.13)と提言した。この報告書の提言は2011年1月28日開催の放射線審議会で承認された。後に内閣官房参与を抗議の辞任する小佐古氏もこの放射線審議会委員であった。
緊急作業の被ばく線量+平常作業被ばく線量:
さらに、基本部会は報告書の中で以下のように提言している。「緊急作業者が高線量の被ばくを受けたときの扱いについて、当該作業者が緊急作業より受けた線量は平常の線量と区別されるべきであり、事業者は、生涯線量1Sv[1000mSv]と緊急作業で受けた被ばく線量との関係により当該作業者の将来の放射線取扱業務に大きな影響を与えないような措置を講ずるべきである」(p.9)。
これが、事故後の経済産業省と厚生労働省の議論の争点となった。基本部会の提言は、緊急時被ばく線量を500mSv〜1000mSvにし、その線量と平常の線量限度(1mSv/週=50mSv/年)とは区別することによって、緊急時被ばく量が限度に達した者でも、続けて他の事業所で年50mSvの平常業務が行えるようにせよということであろう。
経済産業省と厚生労働省の見解の違い
事故直後に250mSvへの引き上げが省令として公表されてすぐに、原子力安全・保安院(経済産業省)と厚生労働省の間で激しいやり取りがあったことが、開示請求され、公開されている文書(注2)からわかる。
「機密性2」の文書:
この文書には「機密性2」と記されており、全53ページにのぼる。政府の「情報セキュリティ政策会議決定」(2011年4月21日付け)文書「政府機関の情報セキュリティ対策のための統一規範」によると、「機密性2」というのは、「行政事務で取り扱う情報のうち、秘密文書に相当する機密性は要しないが、漏えいにより、国民の権利が侵害され又は行政事務の遂行に支障を及ぼすおそれがある情報」(「別紙(第二条第四項関係)」, p.6)(注7)とされている。
この文書の内容は250mSvに引き上げたことについて、東電と原発関連企業の意見を支持する経済産業省と、労働者の健康生命を重んじる厚生労働省との見解の相違をめぐるやり取りである。したがって全市民がこの内容を知ることは当然の権利であり、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とする憲法第25条の生存権に関わる内容だから、秘密にすることは逆に行政側が「国民の権利を侵害する」行為をすることになるのではないだろうか。
厚生労働省の労働者保護の対応を修正すべき:
「放射線業務従事者の緊急作業における線量限度の考え方について」(3月25日原子力安全・保安院)と題した最初のページに、議論の発端が記されている。通常運転時の原発作業員の被ばく線量限度は、「1年間で50mSv, 5年間で100mSv」で、これも同時に適用し緊急作業の線量と合計すると、「緊急作業で250mSvの線量を受けると、その後の5年間、放射線業務に従事できなくなる」ことから、3月22日に(株)日立製作所電力システム社が厚生労働大臣あてに、5年間と1年間の限度と、緊急作業時の限度を別立てとしてほしいと要望した。原子力安全・保安院は3月25日付け文書で、「厚生労働省の解釈を修正することが必要」とした。
以下に解説するように「厚生労働省の解釈」というのは、労働者の命と健康を保護しようとする厚生労働省の対応を指す。
経済産業省の見解の根拠
経済産業省と東電および原子力関連企業の主張は、作業員が緊急作業で250mSv被ばくした後でも、続けて放射線業務を続けられるようにせよというものである。それが許されるという根拠が列挙されているが、1976年アメリカ議会セミナーのやり取りを読んだ者には目を疑うものだろう。
・ 保安院の「放射線業務従事者の緊急作業における線量限度の考え方について」(2011年3月25日)に記されている「平常時の被ばく線量限度と緊急作業を区別する医学的理由」にあげられているのは、放射線審議会による意見具申(1998年6月)で、ICRPの1990年勧告のうち「全就労期間に受ける総実効線量は約1Sv[1000mSv]」で、重大事故時は「約0.5Sv「500mSv」とされ、「緊急時の線量は、平常の線量とは区別して取り扱われるべき」(強調は保安院による)を国内に取り入れるべきだという点である。
・ もう一つの「厚生労働省の解釈を修正することが必要」という理由が、「数十mSv/hもある高線量雰囲気の中で」作業するから、線量限度を上げるべきという論理だ。また、「緊急作業で250mSvの線量を受けると、その後の5年間、放射線業務に従事できなくなる」と、「従事者の中には、緊急事態収束後の就業可否に不安が(ママ)抱く者が多数いる」(強調は保安院による)というのも理由としている。
経済産業省の主張
その後、厚生労働省はそれでも見解を変えないという苛立ちの文書が保安院から4月付けで出されている。「放射線業務従事者の線量限度に係る直近の動向について」と題された文書で、4月初旬に「中山政務官より小宮山厚生労働副大臣」、「小林厚生労働大臣政務官」、「福山官房副長官」に「政治判断の必要性」を訴え続けたことが記され、厚生労働省に対する今後の働きかけの内容として「生涯線量1Sv[1000mSv]の管理を規制に導入することを前提として、緊急時の線量限度と平常時の線量限度を別枠として整理すること」としている。
「当省」(経済産業省)の主張として挙げられていることは、以下の点である。
・ 原発に係る作業に必要な専門技術者の確保は容易ではないため、全国の原発(BWR)[沸騰水型原子炉]の安全管理に支障が生じる(中略)東芝・日立の技術者の約半数が、当面業務ができなくなる。
・ 4月13日付け文書「放射線被ばく量に関する現在直面している課題」にも繰り返し、他の原発から応援者を派遣しているが、「緊急時の線量が、通常時の管理の対象となった場合」は他原発の「運営要員が確保できなくなる可能性がある」と記されている。
・ 協力企業側は「一定の線量の被ばくがあると雇用継続されないといった不安を持つ従業員が多いと聞いている」と主張している。
・ 4月24日文書:東京電力、東芝電力システム社原子力事業部、日立GEニュークリア・エナジー株式会社から保安院宛の訴えが続く。
・ 4月26日:保安院「放射線業務従事者の線量限度について」の中で、「日立は、現在、社内の管理上の上限値を30mSsvとしているところ、今回の措置により、それを引き上げることができるとの見解を(非公式に)示している。他方、『5年間100mSv』の上限が残ると、次年度以降の作業に従事するためには上限一杯の作業を実施することができない」と述べた上で、「改めて厚労省への返し方を検討」と結んでいる。
厚生労働省の対応
4月25日に厚生労働省は文書「放射線業務従事者の線量限度について」で、経済産業省の要望を聞いた上で、なお「緊急作業における被ばく線量が100mSv未満の者については、通常作業を含めて5年間で100mSvを超えないよう」「100mSvを超えた者については、当該5年間の残りの期間については、被ばくする作業に就かせないよう」指導すると回答した。その根拠として、ICRP2007年勧告「100mSvよりも高い線量では、確定的影響の可能性の増加とがんの有意なリスクがある」ことをあげて、経済産業省に注意喚起している。
これで明らかになったのは、ICRP自体が100mSv以上の被ばくはリスクがあると注意しながら、1000mSv被ばくしてもよいとしていること、経済産業省と電力会社、関連企業は1000mSvだけを採用して、作業員の健康リスクを無視していることである。
この3ヶ月後の2011年8月4日開催の放射線審議会でも、250mSvの運用について議論されたが、厚生労働省の担当者が以下の点を強調した(注8)。
・ 従来100mSvだったものを特例省令という形で250mSvに変更する答申をもらった。
・ 厚生労働省内部で、健康障害が生じる・生じないという論文を複数調べて諮問した。
・ 100mSvを超えた者は臨時の健康診断を実施するよう指導している。
・ 労働基準監督署が立ち入り、日々の作業の状況を確認し、健康診断や線量限度について指導している。
・ 基本部会の第二次中間報告の中で現行の100mSvの緩和[500〜1000mSvへ]が提言されているが、すべての放射線従事者の生涯線量を一元管理するシステムがないことを踏まえると、労働者保護の観点から、厚生労働省としては難しいと考えている。
・ 福島第一原発で女性2名が被ばく限度の5mSvを超えたのに、さらに放射線業務に従事させていた事実があり、性別によって区別されている被ばく限度について慎重に検討していただきたい。
・ 現時点で6名が線量限度を超えており、健康診断を廃止するということは、労働者保護の観点から適切ではないと考えている。
小佐古内閣官房参与の辞任声明
2011年4月29日に小佐古内閣官房参与が、子どもを含めた公衆の被曝限度量を1mSvから20mSvに文部科学省が引き上げたことに対して抗議の辞任記者会見をして、大きく報道された。その「辞意表明」全文がNHK「かぶん」(NHK科学文化部)ブログに掲載されている(注5)。
辞意表明の中で、2011年1月28日の放射線審議会の承認事項(緊急時作業の被ばく限度を上げるよう提言)についても抗議の対象であったことが表明されている。
・ 「審議終了事項として本年1月末に『放射線審議会基本部会中間報告書』として取りまとめられ、500mSvあるいは1Sv[1000mSv]とすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきである」。
・ 「経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、『それ[250mSv]で妥当』としている」。
・ 「ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である」。
・ 「放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、『妥当』と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。
(強調は原文のママ)
この件で、小佐古氏は自分が放射線審議会委員だった時に長年審議して到達した結論を、新会長の丹羽氏が異なる値を答申したことについて、法的なプロセスの不備を指摘したということだろう。小佐古氏は文部科学省が子どもに20mSvの被ばくを認める通達を出したことに抗議し、また、SPEEDIを活用すれば初期被ばくせずにすんだものを、活用しなかったと公に批判した。事故直後にSPEEDIを使って避難指示をするよう政府に進言したが、聞き入れられなかったとニューヨークタイムズ紙のインタビューに答えている(注9)。
緊急時の作業員の被ばく線量を500mSvまたは1000mSvにすべきだという審議会の勧告に関しては、法的プロセス云々の前に、そんな危険な線量を作業員に課さなければならない原発とは何と恐ろしいものかというのが市民の受け止め方ではないだろうか。その意味で、小佐古氏の辞任声明は原子力発電に関する根本的問題に目を向けさせてくれた。
・ 放射線審議会の勧告や答申に法的拘束力があるのか? 答えは「放射線審議会の設置について」に記されている。「放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一化に関する審議を行う」「関係行政機関の長に意見を述べることができる」(注10)
・ 100mSv以上は健康リスクがあるが、緊急時は500〜1000mSvの線量まで作業員に課してよいというICRPの勧告に法的拘束力があるのか? 答えはICRP自身が述べている。日本で20mSvに対する批判が起こってから慌てたように、ICRPは「チャリティーとして登録されているNGO団体である」ことを強調している。これについては後の解説で紹介する。アメリカ議会セミナー(5—1)で指摘されたように、「勧告」には法的拘束力はないから、ICRPの「勧告」を独立国家が無条件に受け入れようというのはなぜだろうか。
経済産業省と厚生労働省の妥協点
2011年12月16日に緊急時作業の被ばく線量限度を特例の250mSvから100mSvに戻したが(厚生労働省ホームページ「東電福島第一原発緊急作業員の被ばく限度250ミリシーベルトの特例を廃止しました」)、この日までに実効線量の蓄積量が100mSvを超えた者でも、「作業に欠くことのできない高度の専門的な知識を有するもので、後任者を容易に得ることができないもの」には2012年4月30日まで廃止は適用されないという附則がついている(注3)。これが経済産業省と厚生労働省が到達した妥協点なのだろうか。
水晶体検査の廃止
2011年3月14日施行の特例と、その諮問、放射線審議会の回答ともに、全身の実効線量の引き上げは明記されているが、水晶体と皮膚への等価線量には言及していない。しかし、厚生労働省の「電離放射線障害防止規則の特例に関する省令の制定について(報告)」(注11)によれば、水晶体の等価線量300mSv、皮膚の等価線量1Sv[1000mSv]と明記され、特例以前の緊急時用線量限度と変わらないままとされている。
ところが、東電記者会見その他で積極的に事故の取材をしているジャーナリスト・おしどりマコさんによると、福島労働局への取材(2011年10月)からわかったことは以下の通りである(注12)。
・ 3月16日に東京電力、下請け会社に電離放射線健康診断と同等の検診を毎月するよう通達。
・ 水晶体の検査を抜かし、意味不明の体重測定を追加。
マコさんの追及取材は事業者である東電にも向けられ、その結果判明したことは、事業者としても水晶体と皮膚の等価線量は計測せずに、全身の実効線量と同じ値を記入しているという。しかも、高線量被ばくの作業員は内部被ばくによるものがほとんどだから、外部被ばくによる放射線白内障のしきい値は超えていないと考えられると回答したという。つまり、測定せずに推測値を記録しているということである。
そもそも、作業員の水晶体検査が義務づけられた理由は「放射線白内障」が発症することが知られているためで、バーテル博士も言及していたし、チェルノブイリ事故後に子どもにも白内障(新生児の先天性白内障を含む)が増加していることが発表されている(注13)。
2011年8月4日の放射線審議会で、杉浦紳之委員(放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センター長)が水晶体の線量限度について「放射線審議会として何も検討しないということだと、不作為だというふうに訴えられても困る」と指摘している(注8)。
川内原発再稼働と2014年被ばく限度引き上げ提案との関連
2011年3〜4月の経済産業省と東電、原発関連企業の主張からわかったのは、他原発から専門技術者を得なければ、福島第一原発事故の収束作業ができないという事実である。
それなのに、川内原発の規制基準に合格証を出し、再稼働を進めようとする政府、経済産業省、原子力規制委員会、電力会社、協力企業は、福島原発事故の収束作業をどうするつもりなのだろうか。人手不足の解決策が作業員の被ばく線量引き上げにあるということだろうか。この文書に生涯線量1000mSvがくり返されていることも、2014年7月30日に田中規制委員長が示唆した500mSv〜1000mSvへの引き上げの伏線だったのだろうか。福島第一原発事故の深刻さが次々と明らかにされる中で、現場の作業員の健康と安全を守りながら事故の収束作業に集中するのが事業者、政府行政、規制委員会その他の専門家の責任ではないだろうか。
その意味から、川内原発の合格も、作業員の被ばく線量限度引き上げも、「原子力規制委員会設置法」に違法な行為ではないだろうか。原子力規制委員会委員の「任務」として第3条に「原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びにわが国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ること(中略)を任務とする」とある(注14)。その上、川内原発が基準に適合しているとはしたが、「安全だとは私は言わない」(注15)と公言した田中委員長は法で規定されている「任務」に違反しているのではないだろうか。
作業員の健康調査・記録・疫学調査について
1976年アメリカ議会セミナーでバーテル博士が問題とした作業員の被ばくと疾病記録の管理期間がたった5年間(議事録6—5)という点は、日本の場合、2013年7月改正の「電離放射線障害防止規則」第9条「線量の測定結果の確認、記録等」によると、事業者は放射線業務従事者の線量を記録し、30年間保存しなければならないとされている。あるいは5年間保存した後に、厚生労働大臣が指定する機関に引き渡すとされている(注16)。
この法律と現実に矛盾があることが、2013年2月28日の報道でわかる。事業者である東電が「原発作業員の被曝記録を提出せず 2万人分」ということで(注17)、提出すべき先は公益財団法人放射線影響協会「放射線従事者中央登録センター」である。
放射線従事者中央登録センター:
放射線業務従事者の被ばく線量を一元的に管理する「被ばく線量登録管理制度」が望まれ、制度の運営機関として、1977(昭和52)年11月に「放射線従事者中央登録センター」が設置された(注18)。
設置初期費用は税金が投入されたが、33年経た現在でも一元的管理が実現していないと、日本学術会議が「提言 放射線作業者の被ばくの一元管理について」(2010年7月1日)で指摘している(注19)。事故後も、保安院が「線量管理について、例えば放射線影響協会が運営する放射線従事者中央登録センターに確実に登録をするといった指導等を実施しているところ」(2011年8月4日放射線審議会)と弁解する有様だ。
同じ放射線審議会で厚生労働省は「現時点ですべての放射線放射線従事者の生涯線量を一元管理するシステムがないこと」、緊急作業に従事している作業員が2011年8月時点で1万6000人いることから、その人たちの「離職後も含め他健康管理ができるようにデータベースを作り国が管理していく方向で検討中である」ことを報告している(注8)。
東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会:
それがこの検討会のようだ。厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課主催で、事故から3ヶ月後に「東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会」が開催され、第1回(2011年6月27日)、第2回(2011年7月21日,8月3日)、第3回(2011年8月9日)、第4回(2011年9月21日)を経て、2011年9月26日に「東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会報告書」(注20)が提出された。
主旨は、事故収束に向けた作業の従事者のうち、「緊急作業に従事した全ての作業員の、離職後を含めて長期的に被ばく線量等を追跡できるデータベースを構築し、長期的な健康管理を行うこと」であるとされ、実行線量が年50mSvを超えた者は年1回の一般的健康診断と放射線影響による白内障検査、実効線量が100mSvを超えた者は年1回甲状腺検査および胃・大腸・肺のがん検診が定められ、白血球数検査も望ましいとされている。
東電福島第一原発緊急作業従事者に対する疫学的研究のあり方に関する専門家検討会:
その後、2014年2月14日に同じく厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課主催で、「第1回東電福島第一原発緊急作業従事者に対する疫学的研究のあり方に関する専門家検討会」が開催され、第2回(2014年2月27日)、第3回(2014年3月26日)、第4回(2014年4月21日)、第5回(2014年5月16日)、そして、2014年6月4日に「東電福島第一原発緊急作業従事者に対する疫学的研究のあり方に関する専門家検討会報告書」が公開された。
こちらの主旨は、2011年3月14日から12月16日まで、緊急被ばく線量限度を100mSvから250mSvに引き上げ、「約2万人の緊急作業従事者が作業に従事し、173人が通常作業の5年間の線量限度である100mSvを超えた」(注21)ため、「東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会」の提言にある疫学調査を実施するための検討会ということである。
作業員なしに事故収束はあり得ないし、危険を顧みず作業にあたる人々の健康管理を生涯にわたって政府が責任を持つのは当然のことだ。厚生労働省が主となって行われることは、望ましいと思いながら、議事録や資料を参照した結果、疑問点も見えてきた。
疑問1:
この疫学調査のモデルとしてあげられているのは、放射線影響研究所の児玉和紀氏による「放射線健康影響の疫学調査—原爆放射線健康影響調査—」(第1回資料6)とチェルノブイリ事故関連で長崎大学大学院医歯薬学総合研究科放射線疫学分野教授の高村昇氏提出の「ロシア連邦における作業者の登録方法と集団の特性、現在までの疫学研究」(第2回資料3)だけである。しかも、ロシアの資料は出典も明記されていない。
議事録掲載の高村氏の解説によると、モスクワ近くのオブニンスクの放射線医学研究所の疫学部長ビクトリー・イワノフ氏から提供されたという。この人物からのメッセージが内閣官房ホームページ「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ 平成23年11月」に掲載されている(注22)。
そのメッセージ内容は以下の通りで、この人物が提供した資料をモデルとすることに、どんなメリットが作業員と市民にとってあるのか、市民としても注視すべきだろう。
* 150mSv以下の被ばくをしたチェルノブイリ緊急作業員の集団では、がん発生率の増加は見られない。
* 100mSv以下の被ばくでは、小児甲状腺がんにおける有意なリスクは観察されていない。
* 放射線で汚染された領域に居住し、この25年間に蓄積された線量が100mSvを超過しない住民におけるがん発生率の増加はない。
疑問2:
アメリカ議会セミナーで低線量被ばくを心配する専門家たちが放射能の「遺伝的影響」に特に注意している点に関して、福島第一原発作業員の「生涯フォローアップをする」と言われているのに、作業員の子どもたちの調査は全く考慮されていない。
チェルノブイリでは作業員の子どもたちへの遺伝的被害が多く、発表された学術論文データも多いのに、これらのデータが考慮されていない。福島第一原発事故の緊急作業後に生まれた作業員の子どもたちへの「遺伝的影響」に目をつぶらないでほしい。
疑問3:
この疫学調査は多額の税金が投入されるのだろうが、先の放射線影響協会の「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査」と重ならないのだろうか。
後者は文部科学省の委託事業で、2011年度は約2億4000万円、2012年度は2億円(注23)となっており、前者が厚生労働省からの委託事業になり、生涯追跡調査になれば、税金投入は相当額になるだろう。両調査研究に重複がないよう、税金の無駄遣いにならないよう注意してほしい。
放射線影響協会の疫学調査については、協会の理事長が長瀧重信氏である(注23)ことが調査の結果に影響を与えないか心配だ。「住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」の座長として長瀧氏が委員会の結論は最初から放射能被害はないと受け取れる発言をしたこと(6—4訳者解説を参照のこと)を踏まえ、事故後の放射線影響協会の疫学調査が中立であることを願う。厚生労働省の緊急作業従事者に対する疫学的研究も中立的なものであることを願うばかりだ。
注1:原子力規制委員会第18回2014年7月30日開催、YouTubeを参照のこと。
http://www.nsr.go.jp/committee/kisei/
議事録
http://www.nsr.go.jp/committee/kisei/h26fy/data/20140730.pdf注2:放射線審議会第112回(2011年1月28日)配布資料
https://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1301893.htm
資料112-2号「国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub. 103)の国内制度等への取入れについて―第二次中間報告—」議事録
https://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1302331.htm注3:厚生労働省「電離放射線障害防止規則の特例に関する省令の制定について(報告)」に資料添付。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000194mr-att/2r985200000194ow.pdf
元データ:諮問 厚生労働省発基安0314第2号(平成23年3月14日)
http://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/attach/1304567.htm
回答:http://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/toushin/1304704.htm
経済産業省:http://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/attach/1304533.htm
回答:http://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/toushin/1304702.htm注4:原子力安全・保安院「放射線業務従事者の緊急作業における線量限度の考え方について」平成23年3月25日
http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/disclosure/kaijiseikyu/files/47-1.pdf注5:NHK「かぶん」(NHK科学文化部)ブログ 2011年4月29日
「官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します」中の「内閣官房参与の辞任にあたって(辞意表明) 内閣官房参与 小佐古敏荘」
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html注6:厚生労働省HP
「『平成二十三年東北地方太平洋沖地震に起因して生じた事態に対応するための電離放射線障害防止規則の特例に関する省令を廃止する等の省令』の公布・施行について〜東電福島第一原発緊急作業員の被ばく限度250ミリシーベルトの特例を廃止しました〜」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001yeem.html注7:内閣官房情報セキュリティセンター第29回「情報セキュリティ政策会議」
(2012年4月26日http://www.nisc.go.jp/conference/seisaku/2012.html#seisaku29)で、2011年4月21日の「政府機関の情報セキュリティ対策のための統一規範」案が改定され、決定版が総務省から出された。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000160922.pdf注8:放射線審議会第115回議事録(2011年8月4日)
http://www.nsr.go.jp/archive/mext/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1310487.htm注9:Norimitsu Onishi & Martin Fackler, “Japan Held Nuclear Data, Leaving Evacuees in Peril”(日本は核のデータを出さずに、避難者たちを危険にさらした), August 8, 2011, The New York Times,
http://www.nytimes.com/2011/08/09/world/asia/09japan.html?pagewanted=all&_r=0注10:「放射線審議会の設置について」(2013年12月18日)、原子力規制委員会「放射線審議会委員任命について」(2014年4月4日)
https://www.nsr.go.jp/committee/houshasen/01.html
掲載の参考資料
https://www.nsr.go.jp/committee/kisei/h25fy/data/0036_05r.pdf注11:「電離放射線障害防止規則の特例に関する省令の制定について(報告)」
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000194mr-att/2r985200000194ow.pdf注12:おしどりマコ・ケン
「福島原発作業員の方々の健康管理の件。〜行政解剖は? 水晶体の検査は?〜」
マガジン9「おしどりマコ・ケンの『脱ってみる?』」2011年10月12日
http://www.magazine9.jp/oshidori/111012/注13:アレクセイ・ヤブロコフ他(編著)星川淳(監訳)(2013)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』、岩波書店、pp.111-114.
注14:「原子力規制委員会設置法(平成24年6月27日法律第47号)最終改正:平成25年11月22日法律第82号」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H24/H24HO047.html注15:鳥井真平「川内原発:田中規制委員長『安全だとは私は言わない』」毎日新聞、2014年7月16日
http://mainichi.jp/select/news/20140717k0000m040063000c.html(元記事がなくなっているので内容のみ表示)注16:「電離放射線障害防止規則」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S47/S47F04101000041.html注17:佐藤純・多田敏男「東電、原発作業員の被曝記録を提出せず 2万人分」『朝日新聞』デジタル、2013年2月28日
http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201302270598.html注18:公益財団法人放射線影響協会ホームページ「被ばく線量登録管理制度発足の経緯」
http://www.rea.or.jp/chutou/hibaku-keii.htm注19:日本学術会議「提言 放射線作業者の被ばくの一元管理について」(2010年7月1日)
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t99-1.pdf注20:厚生労働省ホームページ「『東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会』報告書の取りまとめ」掲載。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001plbx.html注21:「第4回東電福島第一原発緊急作業従事者に対する疫学的研究のあり方に関する専門家検討会」の議事録が第5回検討会の資料として掲載されている。発言は安井電離放射線労働者健康対策室長補佐で、議事録をプリントアウトして24ページ目の一番下の発言。
「第5回東電福島第一原発緊急作業従事者に対する疫学的研究のあり方に関する専門家検討会」資料2
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000047161.html注22:内閣官房「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ 平成23年11月」
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/news_111110.html の中の「海外の専門家から寄せられたメッセージ」Victor Ivanov(ビクトル・イワノフ)ロシア保健・社会発展省オブニンスク医学放射線研究所副所長、ロシア放射線防護委員会議長:メッセージ題名「ロシア放射線疫学登録からの提言」
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai8/Victor_Ivanov.pdf注23:(財)放射線影響協会ホームページ「業務・財務等に関する資料」
http://www.rea.or.jp/honbu/frame_honbu_zaimu.htm