15-4:バーテル博士のヨーロッパ議会報告(2)

アメリカの水爆実験で被ばくしたロンゲラップ島民は3年後に安全だと島に戻されましたが、24年後の調査で居住不可能な残留放射線量だとわかり、島民は自主避難します。そして、アメリカ政府に賠償を求める長い闘争を始め、30年後に賠償を勝ち取ります。


 15-3に続いて、「作業員と一般市民を電離放射線から守るICRP勧告の限界」と題し、1998年2月5日にブリュッセルで開かれたヨーロッパ議会ワークショップでのバーテル博士のプレゼンテーション(注1)から抄訳する。

  • 1954年にアメリカがビキニ環礁で水爆実験をした時、ロンゲラップ島近くに停泊していたアメリカ海軍の船はフォールアウトが予想された地域から離れるよう指示されたが、住民には警告されなかった。ロンゲラップ島に大量のフォールアウトが降って72時間後に、島民はクェジェリン環礁の軍事基地に避難させられたが、島民の多くは深刻な原爆症に苦しんだ。3年後にアメリカ軍はロンゲラップ島が安全だとして、島民を戻し、同時にフォールアウトの時に島にいなかった島民の親族を年齢・性別を選んで一緒に戻した。これは軍の研究用の「コントロール」グループにするためだった。
  • 1978年に米国エネルギー省はロンゲラップ環礁の残留放射能を広範囲に調査した。環礁とそこの食物連鎖がいまだに汚染されているという報告書を読んで、島民は自主避難をし、除染と補償をめぐってアメリカと闘争を開始した。1980年代後半に遂にアメリカ議会は島が今でも居住できないことを認めた。しかし、実験として、1957〜1983年5月まで26年間もそこに住んでいた人々がいた。
  • 米国エネルギー省と米国国防省に勤める核科学者たちはロンゲラップ島の人々が放射能を恐れるのは理性的でなく、避難は不必要だと主張した。
  • 最終的にアメリカ議会はロンゲラップ島民を補償しただけでなく、環礁の除染を命じ、島民の被曝量が年間0.25mSvを超えないレベルにすることを保証した。除染のこの基準はアメリカで用いられている基準、年間5mSvをはるかに下回るレベルである。

 バーテル博士自身、ロンゲラップ島民の健康調査を1988年に行い、その結果が続いて述べられているが、次節で紹介する。放射能汚染されたロンゲラップ島が3年後に居住可能になったと言って、アメリカ軍が島民を帰還させたというのは、福島の現状と似ている。そして、20年後にようやくエネルギー省が残留放射能を測定し、居住可能ではないレベルだったため、島民が自主避難したこと、それに対する核科学者たちの非難も、日本の現状に重なる。2017年4月4日に今村雅弘復興大臣が記者会見で、福島原発事故で自主避難した人々を「自己責任」だと切り捨てて、政府の責任について質問したジャーナリストに「うるさい、出て行け」と叫んだことが安倍政権の本質を表している(注2)。ロンゲラップ島民の場合は、マーシャル諸島共和国政府やロンゲラップ島政府がアメリカ政府と闘って、補償を勝ち取ったわけだが、日本の場合は日本政府が自国民を切り捨てるという恐ろしい事態である。

 アメリカ議会がどの程度の補償をしたのか調べてみた。アメリカ政府は世界市民がアクセスできる形できちんとアーカイブに残している。議事録の改ざんや、議事録そのものを作成しない安倍政権となんという違いだろう。米国国務省のホームページ掲載の「アメリカ合衆国議会に提出された、マーシャル諸島共和国政府の要望の審査報告書」(2004)と題された文書(注3)によると、以下のことが決定された。

賠償に関するアメリカ政府報告書

  • アメリカ政府が1946年6月30日から1958年8月18日までに北マーシャル諸島で行った核実験の結果、マーシャル諸島の市民に与えた人的被害と財産損失または損害の責任を1986年に認め、損害賠償の合意を2政府間で交わした(自由連合協定177条項)。
  • 1986年10月にアメリカ政府はマーシャル諸島共和国政府に、核請求トラスト・ファンドを創設するために1500万ドル支払うことに合意した。また、マーシャル諸島政府が「核請求基金」(Nuclear Claims Fund)を設立するために、アメリカ政府は1億5000万ドル提供した。マーシャル諸島政府は1988年に「核被害補償請求裁判所」(Nuclear Claims Tribunal)を設立した。アメリカ政府はこの裁判所に提訴された請求の審査や、裁判所の判決に関与しない。
  • 裁判所は白血病や卵巣がんに対し125,000ドル、良性腫瘍に対し12,500ドルの損害賠償を認めた。アメリカの場合、政府が行う核実験や核兵器製造によって影響を受けた人に対する賠償は、「風下住民」の白血病には50,000ドル、核実験の現場で観察した人の白血病に対しては75,000ドル払っている。
  • 科学者コミュニティは人間の第二世代への核影響の転移は証明していないが、核被害補償請求裁判所は核実験時に[フォールアウトの現場に]いた母親から生まれた子供に対し、第一世代賠償原告に支払った半額を提供する。

マーシャル諸島全域の線量調査(1994)

 バーテル博士の報告書では「1978年に米国エネルギー省はロンゲラップ環礁の残留放射能を広範囲に調査した」とされているが、アメリカ政府報告書では、その後の1994年調査について報告されている。

  • 1994年[核実験の48〜36年後]にマーシャル諸島全域、1,200の島を調査した。調査の目的の一つは、核実験の残留放射性物質の存在と、放射線被ばくのリスクについて提言し、マーシャル諸島市民を教育することだった。
  • 環境放射能の長期的線源の主たるものは放射性セシウムで、土壌表面12インチ[30cm]にあり、その土壌からセシウムを吸収した野菜・穀物を摂取することによる。2002年[核実験から56〜44年後]までには、セシウムの70%は放射能ではなくなる。
  • 土壌表面のプルトニウム等も調査した。大量に吸い込んだり、体内に摂取すると今でも害を及ぼす放射性物質である。島民のうち、これらに影響を受けている人々の被ばく量を推定するために、住居、職場、食生活の特徴を調べ、時の経過とともに、これらの特徴がどう変化したかも調べた。
  • これらを踏まえて、セシウムへの外部・内部被ばくによる全身被ばく(whole body exposure)の総量を計算し、年間の被ばく許容量を推定した。市民の帰還と食糧採集に必要な全身被ばく線量(whole body dose)を年間1mSv以下(訳者による強調)とした。自然バックグラウンド放射線を除き、追加総線量が年間1mSvを超えた場合は、環境除染や防護的農作業を必要とした上で、その地域を居住や食糧採集に安全だとすることとした。
  • マーシャル諸島における環境放射線は、地域の[核実験]フォールアウト、自然バックグラウンド放射線、人工的放射線、世界の[核実験]フォールアウトの合計である。北マーシャル諸島の自然バックグラウンド放射線は年間2.4mSv、そのうち、2mSvは魚を食べることによる(比較として、アメリカの[自然バックグラウンド]年間平均線量は3mSvで、そのうち年間2mSvはラドンからだが、マーシャル諸島ではラドンは皆無である)。
  • この報告書の計算では、世界の核実験フォールアウトはマーシャル諸島では年間0.01〜0.05mSvである。図9にマーシャル諸島各地のセシウム137の年間被ばく量測定値が掲載されている。ランゲラップ島北部が2番目に高い年間1,000ミリレム(10mSv)となっている。この中に含まれているのは、自然バックグラウンド線量と世界の核実験フォールアウトの線量である。年間推定線量の元となっているのは、地域の食物による伝統的食事が75%、米が25%を占めている。もし、島民が地域の食物を20%しか含まない現代的食事にすれば、年間線量はもっと下がるだろう。
  • 1994年に調査の科学諮問委員会は、現存の放射線汚染量は「マーシャル諸島の現世代の健康に悪影響を及ぼさないレベル」と述べ、「島民の未来世代への遺伝的疾患のリスクは、どの国の人々でも持つその疾患のバックグラウンド・リスクより大きいということはない」と評価した。特定の環礁と島に関しては、居住および食糧採集のためには是正措置が必要だと、委員たちは認めた。
  • ● 1999年に米国国務省とエネルギー省はビキニ、エヌエタック、ロンゲラップ、ウチリック島は特定条件のもとに居住可能だと証言した。全米科学アカデミーはロンゲラップ島について、IAEA(国際原子力機関)はビキニについて同意した。

 アメリカ政府の調査と賠償は遅きに失したとしても、マーシャル諸島周辺での最後の核実験から36年後に大規模な環境調査を行い、1994年に島民の帰還の前提となる線量を1mSvとしたことは、日本政府の20mSvがいかに異常で非情で危険かがわかる。

日本の「年間20mSv」設定まで

 福島原発事故勃発から6年たった今、「年間20mSv」がどうして設定され、なぜ6年後の今も続いているのか整理しておくことが必要だろう。時系列に追ってみる。

2011年3月21日:

ICRPが「福島原子力発電所事故」と題した勧告を日本政府に出した。「国際放射線防護委員会(ICRP)は、通常は個別の国の事象に対しコメントすることはありません」と始まり、4項目の勧告をしている。その1に「緊急時に公衆の防護のために、委員会は、国の機関が、最も高い計画的な被ばく線量として20〜100ミリシーベルト(mSv)の範囲で参考レベルを設定すること(ICRP 2007年勧告、表8)をそのまま変更することなしに用いることを勧告します」と命令している(注4)

2011年3月30日:

ロイター通信によると、IAEA(国際原子力機関)が記者会見で「飯舘村でIAEAの避難基準を超えたことを示している」と発表し、「注意深い状況判断を行うよう(日本に)勧告し、日本はすでに評価中であることを示唆している」と述べた。また、国際環境保護団体グリーンピースも飯舘村の放射線量が高いので、日本に対し避難区域拡大要請をしたが、3月28日に日本の原子力安全当局はその要請を「はねつけた」という。また、国連食品当局は、シンガポールに輸出された日本産キャベツに「国際貿易推奨基準を超える放射性ヨウ素が含まれて」おり、「サンプルの1つからは基準の最大9倍のヨウ素が見つかった」と述べた(注5)

2011年3月30日:

福島県教育委員会から原子力災害現地対策本部に対し、原発から20〜30km圏内の学校再開に当たり、放射線の基準を早急に提示することについて要請があった。

→官邸の緊急参集チームは文部科学省に対して、区域内の学校の放射線量を測定し、原子力安全委員会に評価を依頼するよう指示(注6)

2011年3月31日:

20km圏外の地域(特に飯舘村)で避難基準値を超える線量が計測されたので、IAEAは日本政府に避難区域拡大の注意を促した(注5)。

→政府・原子力安全委員会・原子力安全・保安院の見解:「いま避難する必要はない」(注7)

2011年4月6日:

文部科学省が測定した結果を原子力安全委員会に提出し、学校再開の可否について助言を求めた。測定結果のうち、最高値は浪江町の小学校で、地表から1cmの線量が毎時30.2μSv年265mSv)。最低値はいわき市の小学校で、毎時1.2μSv年11mSv)だった。

→これらの測定値に基づいて、原子力安全委員会は、原発から20〜30kmは屋内退避地域であり、学校再開は「好ましくない」、それ以外の地域でも、空間線量が高い地域の学校の再開については「十分検討すべき」と回答した。

→官房長官、原子力災害対策本部、文部科学省内の非常災害対策センター、放射線医学総合研究所等と検討したというが、「20mSv/年」という暫定的考え方の決め手はICRPの3月21日勧告であったことが明記されている(注6)

2011年4月9日:

文科省が原子力安全委員会に暫定的考え方のたたき台を説明した。「3μSv/h以上(当初は測定誤差等を考慮していたため)の空間線量率が測定された学校等については、詳細な再調査を実施することが適当であり、再調査の結果が出るまで等の間に校舎・園舎の使用を継続することは差し支えないが、屋外活動授業の自粛等に留意すること。他方、毎時3μSv/h[年26mSv]を下回った学校等については、設置者の判断により、校舎・校庭等を利用して差し支えない」。3μSvに注が付記され、「①モニタリング結果を見ると測定誤差と考えられる測定値のばらつきはほとんどないこと、②そもそも3.8μSv/hは一日当たり校庭上に8時間も滞在する、放射性ヨウ素が全く減衰しない等の極めて安全側に想定して導出されたものであること等を考慮し、3μSv/hを3.8μSv/hに変更した」(p.36)と書かれている。

→原子力安全委員会から内部被ばくについて「何らかの(例えば2倍程度)の安全係数の考慮が必要」と指摘した。

→これに対して文部科学省は「校庭等の土壌から巻き上げられた塵を吸引すること等による内部被ばくの線量は、外部被ばくを含めた全体の線量の平均2パーセント程度で極めて小さいと評価される」として、原子力安全委員会に対して説明を行い、「内部被ばくを理由とする安全係数の考慮は行わないこととなった」と記載されている(注6)

2011年4月11日:

日本政府は記者会見で年間20mSvという高線量を、避難させるべきか否かの目安としたと発表(注8)

2011年4月19日:

子どもを守るべき立場の文部科学省が、「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」という通達を出し、子どもたちの被ばく許容線量を20mSvとした(注9)

2011年4月22日:

 飯舘村に避難指示。

 この通達の10日後に、当時の小佐古敏荘内閣官房参与が「小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます」という辞意表明を記者会見で行ったこと、母親たちの反対運動などにより、「20mSv」はいったん取り下げられたかに見えた。

線量について:

 双葉町上羽鳥では3月12日に毎時1590μSv1日38.16mSv)が観測されていたと、1年半後に発表された(注10)。ところが、同じ地区の同じ日の線量が、事故後3年目に明らかにされたデータによると、3月12日午後2時10分以降、急上昇し、午後2時40分には1時間あたり4.6mSv1日110mSv)、1号機の水素爆発の「1時間前にこの日の最大の値を記録した」ことがわかった(注11)

 3月15日時点の飯舘村役場前の線量は毎時44.7μSv1日1.07mSv, 年390mSv)で、3月28-29日に飯舘村の放射能汚染調査を行った今中哲二氏らによると「3月15日の放射能沈着後3ヶ月間の積算放射線量を見積もってみると, 村の中央部にある役場で約20mSv, 南部の長泥字曲田で約60mSvという値になった」という(注12)

原子力緊急事態宣言継続中

 20mSvの背景にあるのが、2011年3月11日に宣言された「原子力緊急事態宣言」が現在なお継続中ということである。2017年1月24日に参議院議員・糸数慶子氏が「原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言に関する質問主意書」を提出し、同2月3日に内閣総理大臣安倍晋三の名前で、答弁書が出されている(注13)。ICRPが「緊急時に(中略)、最も高い計画的な被ばく線量として20〜100ミリシーベルト」を命令したまま、つまり福島県も周辺地域も「福島第一原子力発電所事故の緊急時」のままの状態だと政府は認めているわけだ。だから20mSvのままという理屈なのだろう。

 2016年3月11日に衆議院議員逢坂誠二氏も質問主意書を提出し、安倍晋三氏の答弁は「原子力緊急事態解除宣言について(中略)、現時点において確たる見通しを述べることは困難である」と回答している(注14)。平和安全法制(別名・戦争法)を成立させるために火事にたとえた安倍首相のシミュレーション(注15)を用いれば、火事がまだ燃え盛っており、鎮火のめどが立っていないという。本当の火事なら、一旦避難した人々に燃えている家に戻れと消防士は言わないはずだが、安倍政権は子どもを抱えた人々にまで、燃え盛る家に戻れ、そのため熱傷を負うだろうが、すぐには死なないI度やII度程度の熱傷だと言っているに等しい。

 「原子力緊急事態宣言」を今後何十年続けるのかわからないが、緊急事態継続中だからこそ、廃炉作業中の福島第一原発から放射性物質が大量に出る事故が起こる。2013年8月に3号機のガレキ撤去中に大量の放射性物質が放出され、南相馬の米が汚染された経緯は8-6-6で紹介した。同じような事故が2016年11月にも起こった。『女性自身』(2017年4月4日号)が指摘したのは、2016年9月に1号機の建屋カバーの撤去作業が始まり、2017年1月に9月の65倍の放射性物質量が福島県双葉郡に降下したことなどだ。それに対し、原子力規制委員会は早速「降下物の数値の変動と建屋カバー撤去工事及びその後の作業との関係はない」とコメントをホームページに掲載した(注16)。この経緯は2013年8月に3号機のガレキ撤去中の大量放出と同じだ。規制委員会は「関連していない」と言うだけで、その根拠を示さない。

注1:Rosalie Bertell “Limitations of the ICRP Recommendations for Worker and Public Protection from Ionizing Radiation”, For Presentation at the STOA Workshop, European Parliament, Brussels, 5 February 1998.
http://www.ccnr.org/radiation_standards.html

注2:伊勢崎馨「今村復興相の激高会見、問題は激高よりも『自主非難は自己責任』発言だ!しかしメディアやネットは記者を非難」『リテラ』2017.04.05
http://lite-ra.com/dev/print/?url=http://lite-ra.com/2017/04/post-3051.html

注3:US Department of State, “Report evaluating the Request of the Government of the Republic of the Marshall Islands Presented to the Congress of the United States of America”, November 2004 
https://2001-2009.state.gov/p/eap/rls/rpt/40422.htm

注4:首相官邸災害対策ページ(http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g27.html)からアクセス可
http://www.scj.go.jp/ja/info/jishin/pdf/t-110405-3j.pdf

注5:「飯舘村でIAEA基準超える放射性物質、避難区域拡大圧力も」『ロイター』2011年3月31日 
http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20349020110330?pageNumber=1

注6:文部科学省「東日本大震災からの復旧・復興に関する文部科学省の取組についての検証結果のまとめ(第二次報告書)」2012年7月27)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/07/26/1323887_01.pdf

注7:「枝野長官、飯舘村への避難勧告には否定的」『読売新聞』オンライン2011年3月31日13:13
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000303/20110331-OYT1T00556.html
「IAEA勧告要請、安全委『国内判断問題なし』」『読売新聞』オンライン2011年3月31日20:25
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000303/20110331-OYT1T00858.html

注8:官房長官記者発表 平成23年4月11日(月)午後「原子力発電所周辺地域の避難のあり方の見直しについて」http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201104/11_p.html

注9:文部科学省「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」23文科ス第134号 平成23年4月19日
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305173.htm

注10:「爆発前から放射能漏れ? 双葉の上羽鳥毎時1590マイクロシーベルト」『福島民報』2012/09/22
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/09/post_5071.html

注11:「原発事故 克明な放射線量データ判明」『NHK NEWS WEB』2014年3月11日
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20140311/

注12:今中哲二他「フクシマ原発事故にともなう飯舘村の放射能汚染調査報告」『科学』81-6, 2011年6月号, p.0597.

注13:糸数慶子「原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言に関する質問主意書」参議院 平成二十九年一月二十四日
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/193/syuh/s193013.htm

内閣総理大臣 安倍晋三「参議院議員糸数慶子君提出原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言に関する質問に対する答弁書」参議院 平成二十九年二月三日
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/193/touh/t193013.htm

注14:逢坂誠二「原子力緊急事態宣言に関する質問主意書」衆議院 平成二十八年三月三日提出 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a190164.htm

内閣総理大臣 安倍晋三「衆議院議員逢坂誠二君提出原子力緊急事態宣言に関する質問に対する答弁書」衆議院 平成二十八年三月十一日
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b190164.htm

注15:「安倍首相、安保法案を火事にたとえて説明し、『消防士は誰かを殺さない』と一蹴される」『ビジネスジャーナル』2015.08.09 
http://biz-journal.jp/2015/08/post_11047.html

注16:「原子力規制庁、『女性自身』記事うけ見解 原発建屋カバー撤去と数値上昇は『関係ない』」『JCASTニュース』2017/03/29 
https://www.j-cast.com/2017/03/29294324.html?p=all

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