8-5-3 日本・欧米の一般市民の防護のための緊急対応ガイドライン

2015年3月5日〜4月3日まで原子力規制委員会が「原子力災害対策指針(案)」について意見募集を行っていますが、安定ヨウ素剤服用の介入レベルを示していません。福島原発事故でなぜ安定ヨウ素剤が服用されなかったのかを整理し、チェルノブイリ事故で子ども全員に安定ヨウ素剤を飲ませたポーランドの報告(小児甲状腺がん増加なし)を紹介します。

日本と欧米の一般市民の防護のための介入レベル

 つい最近、原子力規制委員会が「原子力災害対策指針」を公表し(2015年3月5日)、4月3日までパブリックコメントを募集している。パブリックコメントでこの評価をするには、他の国の指針との比較が必要だ。そして十分な吟味・検討・話し合いの時間が必要だが、原子力規制委員会は1ヶ月弱しか時間を与えない。一方、アメリカ環境保護局(EPA)が同じようにガイドラインの意見募集を2013年3月に公表したが、締切までの期間は6ヶ月間だった。

 以下の表にまとめたものは、線量の羅列で面倒だが、じっくり見比べると、それぞれの国の価値観が見えてきはしないだろうか。この表の下に、チェルノブイリ事故で被害を受け続けているウクライナとベラルーシ政府の避難規則も表にした。

一般市民の防護のためのガイドライン比較

ベラルーシとウクライナの規制値

安定ヨウ素剤服用について

 この比較を見て、まず目を引くのが、日本のガイドラインだけ「安定ヨウ素剤」について服用の目安となる介入レベルがないことだ。福島第一原発事故直後に安定ヨウ素剤が準備されていながら、配布されなかったこと、福島県三春町は独自に判断して服用を進めたが、福島県からストップがかかったことが、大分後になってわかってきた。そして、事故から4年たった現在も規制委員会はなぜか明記したくないようである。

 「原子力災害対策指針(案)」には、2ページ半ものスペースをさいて解説しているが、「副作用」「医師による説明」などが何度も強調され、「原子力規制委員会が服用の必要性を判断し」「原子力災害対策本部又は地方公共団体が指示を出す」「医療関係者の指示」に基づいて「服用させる必要がある」と書かれ、最後に「プルーム通過時の防護措置としての安定ヨウ素剤の投与の判断基準、屋内退避等の防護措置との併用の在り方等については、原子力規制委員会において検討し、本指針に記載する」という結論だ。記載されていない投与基準について判断しようのない「指針」の意見募集とは、どういう意味なのだろうか。

 福島第一原発事故の際に、なぜ安定ヨウ素剤が服用されなかったのか、各種報道から判明したことを時系列で整理した上で、事故から半年後に「ヨーロッパ甲状腺学会」で報告されたチェルノブイリ事故後のポーランド政府の対応と、その結果を紹介する。

安定ヨウ素剤が配布・服用されなかった経緯

2011年3月12日15時36分:1号機爆発

  • 3月12〜16日:「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算結果が福島県に送られたが、佐藤雄平知事(当時)はこのデータが削除されたことについて「ついつい見逃してしまった」と国会事故調査委員会参考人聴取で釈明した(注8)
  • 3月12日〜16日:福島県立医大で「放射能への恐怖が渦巻いたため」、被ばく医療と放射線測定にかかわる職員から優先的に、16日以降は教員、事務職員、その子ども、学生にも配布され、市民にも配布すべきだと、薬局を通して配布できるよう県立医大で準備が始められた。医大関係者に安定ヨウ素剤が配布された件は箝口令がしかれたという(注9)
  • 3月13日:原子力安全委員会が安定ヨウ素剤の配布と摂取を勧めるメモを原子力安全・保安院(当時)にファックスした。このメモについて報道したウォール・ストリート・ジャーナルの記事(2011年9月29日 注10)が出た後に、原子力安全委員会はウェブページにこのメモを証拠として掲載している。「原子力災害対策現地部長」名で、福島県知事・大熊町長・双葉町長・富岡町長・浪江町長宛に出された指示書だ。タイプされた部分には「スクリーニングの実施にあたっては(中略)6000cpmを基準として実施すること」とあり、その下に「10,000cpm」と追加手書きされて、更に手書きで「除染及び安定ヨウ素剤の服用」とある。「cpm」は「1分当たりの放射線計測回数:カウント・パー・ミニット」である。ただし、この「証拠」より詳しい文書も原子力規制委員会HPに掲載されている。10万cpmの経緯は岩波書店の月刊『科学』(2015年3月号)に詳しく解説されているので、参照されたい(注11)
  • 3月13日〜25日:福島県立医大で371人にスクリーニング実施。24名が1万cpm超(約6.5%)。うち23名は足と肩が汚染、靴や上着を脱ぐと1万cpmを下回った」(注11)

3月14日11時1分:3号機爆発

  • 3月14日:放射線医学総合研究所(放医研)が見解を発表し(「ヨウ素剤を含むうがい液などの服用禁止、ヨウ素剤は指定された場所で指示があった場合のみ服用すること」)、「勝手に動くな、飲ませるな」という指示だった。2013年6月に「プロメテウスの罠」の朝日新聞記者にインタビューされ、放医研の緊急被ばく医療研究センター長・明石真言氏は「いま思えば、飲ませればよかった」と語った(注9)
  • 3月14日:福島県は安定ヨウ素剤服用基準を「10万cpm」に引き上げた(注9, 10, 11)。福島県保健福祉部地域医療課から「緊急被ばくスクリーニング体制について」という文書が配布され、10万cpmは「健康に影響のないレベル」と明記された。福島県は国の判断を待たずに、「何ら科学的根拠のない『安心・安全』につながる文言を独自に書き加えて周知した」(注11)。この10万cpmは「1歳児甲状腺等価線量1000mSvの水準」とされる(注11)
  • 3月14日:原子力安全委員会は「福島県に対し1万3000cpmに据え置くよう助言する声明を発表し」た(注10)
  • 3月14日13時20分ごろ:東電の福島事務所からの依頼として「3号機の爆発に関するプレス(報道発表)文に、福島県知事から『いま北西の風が吹いており、観測された放射線量から健康に被害が出る心配はない』という文言を入れたい、入れてほしいという話があった」と連絡があり、東電側は健康被害がないと言い切ることはできないと、「報道発表資料に記載されなかった」という(注12)
  • 3月14日:福島県三春町は安定ヨウ素剤の配布服用を決め、保健師が県庁に行って、40歳以下の町民7,248人分の安定ヨウ素剤を入手(注13)

3月15日6時14分:4号機爆発

  • 3月15日:14日か15日に雨に濡れた老婦人、頭部を中心に8万cpm程度の汚染(注11)
  • 3月15日13時:三春町で安定ヨウ素剤の配布を始め、午後5時に終了。同じ時刻に福島県職員から「誰の指示で配っているのか、回収しろ」という電話があったが、三春町保健福祉課長は「町の責任で町長の指示で動いている、もう飲ませてあるので回収できない」と反論した(注13)
  • 3月17日:福島県知事は長崎大学教授で甲状腺学会理事長(当時)の山下俊一氏に放射能汚染に関する専門的情報提供への協力を要請(注14)
  • 3月18日:福島入りをした山下氏は福島県立医大で教職員に対し、安定ヨウ素剤不要論を展開した(注14)
  • 3月19日:福島県立医大では、安定ヨウ素剤を市民に服用させる準備を始めていたが、山下氏が却下した(注14)
  • 3月20日:原子力安全委員会は14日に発表した「福島県に対し1万3000cpmに据え置くよう助言する声明」を緩め、10万cpmを容認した(注10)。放医研の明石真言理事が「既に福島県立医科大学で運用されている10万cpmを原子力安全委員会が正当化してくれるよう働きかけた(注11)
  • 3月21日:厚生労働省による「事務連絡」では「10万cpm未満のものについては保健師が心のケア等を実施し、説明後帰宅」とされ、「放射線防護は心の問題にすり替」えられてしまった。10万cpmは、2011年8月29日に1万3000cpmに引き下げられるまで、各市町村で用いられ続けたという(注11)

チェルノブイリ事故後のポーランド政府の対応:安定ヨウ素剤で甲状腺がん増加なし

 福島原発事故から半年後にポーランドで「第35回ヨーロッパ甲状腺学会」(2011年9月10〜14日 注15)が開催された。この学会の中で、ヨーロッパ諸国のシンポジウムがあり、ポーランドとイタリアの代表がチェルノブイリ事故による被害と対応策について話した。

 チェルノブイリ事故後のイタリアで異変に最初に気付いたのは医師たちで、まず子どもたちの間に甲状腺がんが増加し、次に青少年にも広がった。特に注目すべきは、事故の放射線被ばく後のがんの潜伏期間が予想よりもずっと短かったことだ。リスクの最も高かったのが事故の時に5歳以下だった子どもたちである。

 ポーランド代表は「チェルノブイリ事故—甲状腺ブロック剤としての安定ヨウ素剤を使ったポーランドの経験—」と題した報告を行った。チェルノブイリ事故に際して、子どもの年間甲状腺被ばく量は50mSv、成人は500mSvを超えてはならないとされ、ほとんどの場合この基準値を超える人はいなかったこと、ポーランド政府が国民に安定ヨウ素剤(KIヨウ化カリウム)を強制的に服用させたこと、新生児には30mg、子ども50mg、ティーンエイジャー70mg、妊娠中の女性は1回、その他の大人は自主的な量としたことを説明した。安定ヨウ素剤1回分が1700万人に服用され、子ども人口の98.2%が服用した。この防護策のおかげで、99%の子どもと大人の放射性ヨウ素131の線量は50mSv以下に抑えられたという。副作用としては、わずか0.37%の人に甲状腺刺激ホルモンTSHの一過性上昇が見られたことだ。この防護策の驚くべき成功は、事故後の15年間、ポーランド全人口で小児甲状腺がんの増加がなかったことである(pp.15-16)。

注1:原子力規制委員会「原子力災害対策指針(改定原案)及び原子力災害対策特別措置法に基づき原子力防災管理者が通報すべき事象等に関する規則の一部を改正する規則(案)に対する意見募集について」:
http://www.nsr.go.jp/procedure/public_comment/20150305_01.html
のページからアクセス可:
http://www.nsr.go.jp/data/000099130.pdf

注2:カナダ保健省 Health Canada (2003), Canadian Guidelines for Intervention During a Nuclear Emergency,
http://www.hc-sc.gc.ca/ewh-semt/alt_formats/hecs-sesc/pdf/pubs/radiation/guide-03/interventions-eng.pdf

注3:Australian Radiation Protection and Nuclear Safety Agency (2004), Recommendations: Intervention in Emergency Situations Involving Radiation Exposure Radiation Protection Series Publication No.7
http://www.arpansa.gov.au/pubs/rps/rps7.pdf

注4:Braekers, C. D. et al. (2013) “Comparison of the Belgian interventions levels and the new ICRP recommendations for emergency exposures” (ベルギーの介入レベルとICRPの緊急被ばくに対する新たな勧告の比較), Radioprotection, Vol. 48, No. 5:
http://journals.cambridge.org/download.php?file=%2FRAD%2FRAD48_05%2FS0033845113099171a.pdf&code=18444a620421cf1b892e95a86818a91c

注5:アメリカEPAの1992年版はカナダのガイドライン掲載のもの。2013年版はU.S. Environmental Protection Agency (2013), PMG Manual: Protective Action Guides and Planning Guidance for Radiological Incidents (draft for Interim use and Public Comments):
http://www.epa.gov/radiation/docs/er/pag-manual-interim-public-comment-4-2-2013.pdf

注6:ベラルーシ共和国非常事態省チェルノブイリ原発事故被害対策局(編)(2011)日本ベラルーシ友好協会(監訳 2013)『チェルノブイリ原発事故 ベラルーシ政府報告書』産学社

注7:『ウクライナ政府(緊急事態省)報告書』(2011)の日本語訳が市民科学研究室ページからアクセス可。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2013/04/34-1.html

注8:「福島知事、拡散予測つい見逃した 国会事故調で」(2012/05/29)『北海道新聞』
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/nuclear201205/164501.html

「削除」の経緯は、2012年3月21日付け『中日新聞』記事「福島県、SPEEDI予測データ消去」に詳しい。現在、中日新聞ウェブページからは削除されており、ウェブ魚拓に掲載:
http://megalodon.jp/2012-0324-2359-00/www.chunichi.co.jp/s/article/2012032190085836.html

この参考人聴取の直後に福島県は「SPEEDI電子メールデータ削除問題」と題する釈明文をホームページに公開し、削除したと言っていたSPEEDIデータも公開している。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025c/genan13.html

注9:「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:19 服用の指示が出ない」『朝日新聞』2013年11月6日:
http://www.asahi.com/articles/TKY201311050626.html
(有料コンテンツ)

「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:18 薬局で提供『いける』」『朝日新聞』2013年11月5日:
http://www.asahi.com/articles/TKY201311040362.html
(有料コンテンツ)

「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:4 スピーディって何?」2013年10月22日
現在はリンク情報が公開されていません。
『プロメテウスの罠 7 100年先まで伝える! 原発事故の真実』第38章 医師、前線へ
書籍をご覧ください。
Web新書プロメテウスの罠〔38〕
 
「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:23 消えたファックス」『朝日新聞』2013年10月5日
http://www.asahi.com/articles/TKY201311090571.html
(有料コンテンツ)
このシリーズは朝日新聞特別報道部(2014)『プロメテウスの罠 7』学研パブリッシングでまとめて読むことができる。

注10:「配布されなかった安定ヨウ素剤—福島原発事故後の混乱で—」『ウォール・ストリート・ジャーナル』2011/9/29
http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-316375.html

この記事からリンクされていた「手書きメモ」はリンク切れだが、現在、原子力規制委員会HPに掲載されている(2011年9月16日付け)。:
https://www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/bousin/bousin2011_03/youso.htm

別のバージョンが2012年9月 13日(https://www.nsr.go.jp/archive/nsc/info/20120913_1.pdf
に原子力規制委員会HPに掲載され、主要部分が注11の論評に掲載されている。

注11:事故直後に何があったのかの一部が、2014年12月25日に内閣官房により開示された政府事故調査委員会のヒアリング記録からわかり、その解説が岩波書店の月刊『科学』(2015年3月号)の論評、study2007「見捨てられた初期被ばく―スクリーニング基準値の引き上げと変質に関する経緯—」(pp.0296-0306)にわかりやすく述べられているので、是非お読みいただきたい。ヒアリング記録は内閣官房:政府事故調査委員会ヒアリング記録
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai_3/hearing_list_3.html

注12:2012年8月9日付けの河北新聞記事「『健康被害ない』と広報を 爆発直後、福島県が東電に要請か」の前半が47NEWSに掲載されている。
http://www.47news.jp/47topics/e/233347.php

河北新聞ウェブ・ページは削除されてしまったようだが、ウェブ魚拓で読むことができる。
http://megalodon.jp/2012-0811-2330-35/www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120809t61003.htm

注13:NHKドキュメンタリー「証言記録 東日本大震災 『福島県三春町』〜ヨウ素剤・決断に至る4日間〜」(2012年9月30日放映)の書き起こしが「みんな楽しくHappy♡がいい」ブログに掲載されている。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2602.html

注14:「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:20 『ヨウ素剤信仰だ』」『朝日新聞』2013年11月7日
http://www.asahi.com/articles/TKY201311060676.html
(有料コンテンツ)

「(プロメテウスの罠)医師、前線へ:21 まさかの広範囲汚染」『朝日新聞』2013年11月8日 
http://www.asahi.com/articles/TKY201311070549.html
(有料コンテンツ)

注15:Thyroid International 5-2011: Report of the 35th Annual Meeting of the European thyroid Association, Krakow, Poland, September 10th -14th , 2011, Merck KGaA, Darmstad, Germany, 2012
http://www.thyrolink.com/merck_serono_thyrolink/en/images/Thyroid_inter_5_2011_WEB_tcm1553_86626.pdf?Version=

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