8-6-5:「健康被害なし」に抗議した専門家たち:チェルノブイリと福島

チェルノブイリ事故5年後にIAEAは報告書の中で、放射線による健康被害はないと評価しました。ソ連の専門家たちはその結論に反対してIAEAに訂正を求めました。IAEAは福島第一原発事故5年目の2015年8月公表の報告書でも、放射線による健康被害はないと結論付けました。日本でも安全神話に異議申し立てする科学者たちがいます。

ロシア・ウクライナ・ベラルーシ共和国の専門家から異議申し立て

 IAEA「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の評価と勧告に関するディスカッションの中で、ウクライナとベラルーシの専門家から異議申し立てが出された。『国際チェルノブイリ・プロジェクト 国際会議録』(注1)の中に挿入されているので主要点を紹介する。

「V.G.バリヤフタル(ウクライナ科学アカデミー副会長)の声明」(II, pp.41-42)

● これは私とウクライナ保健省放射線医学局長との合同声明である。ウクライナ保健省とウクライナ科学アカデミーの研究機関約30機関の科学者たちによるデータの結果、ウクライナに住むチェルノブイリ原発作業員が129,000人おり、彼らの被ばく線量のデータは半数の56,000人分しかないが、被ばく量は100mSvから200mSvの間である。

● これらの人々はすでに様々な健康被害の症状を示している。まず、免疫系障害で、検査した500人の約80%に免疫系障害がみつかった。

● 血栓症が明らかに上昇傾向を示している。ウクライナの平均症例数は10万人に14例だから、1989年から1991年始めに激増した。1989年までは作業員の血栓症数はわずか13か14だったが、1991年には20に上昇し、同様に死亡率も上昇している。

● 若い人を作業員として使うべきではないと我々が考える理由がある。作業員の3分の1に生殖機能障害が見られる。

● 聴覚障害がはっきりと現れ、[内耳]前庭系の順応・補償機能の障害で、500人の被験者の40%にこの障害が見られた。

● 作業員の血液に量的質的変化が見られる。1,100人検査し、24%に異常が見られた。

● ポレスコ(Polesskoe)地域、特にナロディチ区の住民は20〜50mSv被ばくした。それ以上、120〜150mSv被ばくした人もおり、最高200mSvの被ばくを示した村もある。全ソ連邦放射線医学科学センター(All-Union Scientific Centre of Radiation Medicine)とキエフ小児科研究所(Kiev Institute of Paediatrics)のデータによると、これらの地域の子どもたちも免疫系障害に苦しんでいるが、最近は正常に戻りつつある。

● 妊婦の健康問題に関しては、1989年時点で大きな変化が見られ、胎児中毒(prenatal toxicosis)が1.5倍に増え、貧血症は約1.5倍、子宮出血は1.5倍、村によっては3倍に増加している。早産は1.5〜3.1倍増加している。

● 再度強調したいことは、子どもの問題で、残念なことに、どもの染色体異常がはっきりと現れている。

● これらのことが示すのは、[国際チェルノブイリ・プロジェクトが]結論を出すにあたって、もっと慎重であるべきということだ。特に最終稿のページに書かれている内容「現在の健康被害(1991年)—放射線に起因する健康への悪影響と報告されているものは、適切に行われた現地の調査研究でも、当プロジェクトの調査でも証明されなかった」という文言は、私にはあまりに楽観的すぎると思える。[この結論は]このままでは受け入れられないので、この個所はもっと慎重な記述が望ましい。

● 委員長[重松氏に向かって]にお願いがある。IAEAの代表者であるローゼン博士[事故直後のこの人物の言動については8—6—2を参照のこと]に今後の5年間に共同研究プログラムを企画するよう要請していただきたい。なぜなら、現在のデータすべてが示しているのは、今後の5年間に[事故の]初期影響の深刻な結果が現れてくるからである。

「K. K. ドゥシュティン(チェルノブイリ科学センター長、プリピャチ科学プロダクション部)の声明」(II, p.43)

● 我々が得たデータが示すことは、今後研究者が集中すべきリスク・グループは甲状腺に高い被ばくをした子どもたち、プリピャチから避難した住民、作業員である。このグループに何の変化も見られなければ、市民は安心する。しかし、今日示された国際チェルノブイリ・プロジェクトの結論はこれらのリスク・グループ、甲状腺に被ばくした子どもたちさえも評価しておらず、市民の健康状態に関して、市民の不安を鎮めることは残念ながらできない。

● 健康被害の最大の変化は免疫系である。これは他の臨床的症状よりもずっと早く現れるので、自己免疫反応の普遍性がリスク・グループ、つまり、健康のボーダーライン上にいる人々を研究者が特定できる方法である。

「E. F. コノプリャ(ベラルーシ科学アカデミー、放射線研究所長)の声明」(II, p.44)

● まず最初に、私もバリヤフタル博士とドゥシュティン博士の見解に賛成の立場であると申し上げたい。汚染地域で疾病率が上昇しているか否かの議論は瑣末なことだというバリヤフタル博士のコメントに賛成だ。なぜなら、この[議論する]時期はもう過ぎ去り、ほとんどの人が疾病率が上昇したと認めているからである。保健省のデータには十分な統計があり、1989年のソ連最高会議の委員会で、事故の影響を受けた3共和国の保健省も、ソ連邦の保健省副大臣までもがこのこと[疾病率の上昇]を認めている。

● 現在、我々はこの疾病率の上昇の原因とメカニズムについて議論している。私の考えでは、もちろん放射線の影響を除外するべきではない。

● 我々が1986年に始めた免疫系の[動物]実験では変化が確認されている。人間の場合は、予想される線量によってグループに分けた。予想最高線量10〜30レム(100mSv〜300mSv)の地域の住民で、対照グループはミンスク地区だ。モギリョフ州のクラスノポーレ地区の住民を調べた。免疫系に変化が見られただけでなく、この変化がリンパ球数の減少の原因であり、補体や免疫グロブリンの変化なども起こすことを発見した。予測線量によって、変化が異なることを検出している。

● 免疫系に関して、3つ重要な結論を導き出した。①感染症に対する免疫が落ちる②自己免疫システムが増加。ここでは対照グループのミンスク地区とラウラック地区についてだが、甲状腺と肝臓の機能における抗体の増加、たとえば、自己免疫過程の増加が見られる。③腫瘍に対する免疫が減少し、特に昨年[1990年]と一昨年に明らかになり、心配すべき現象だ。

● 突然変異について、1986年と1987年[事故の年と翌年]に行われた調査のデータでは、調査対象の居住地域すべてで染色体異常が増加しており、それらは特に放射線によって引き起こされる影響の特徴を示す変化である。

「チェルノブイリ事故の影響に関するベラルーシ共和国委員会会長の声明」(II, p.45)

● 甲状腺機能障害がベラルーシ共和国の被ばくした人々にとって最大の問題で、ある地域ではこの問題が蔓延している。人口10万人のある町で、レニングラード小児科研究所がスウェーデンと共同調査を行った結果、12〜14歳の子ども10,000人の20〜30%が甲状腺の問題を抱えている。これは高い数値だ。彼らはこれが放射線の影響のせいだとはしていない。1986年に30km圏内からこの町に避難した300人ほどの子どもの90%が甲状腺問題を抱えている。[国際チェルノブイリ・プロジェクト]レポートでは「甲状腺に結節が発見されるのは、子どもではほとんどない」と書かれているが、この箇所は修正版では削除してほしい。

● もう1点、腫瘍について、ゴメリ州で1990年に14件の甲状腺がんが公式に登録された。地域の医者が間違いを犯すことがあり、病気の分類を不正確に行うことがあると考える人が多くいることは知っているが、この件はミンスクの科学研究所 [ベラルーシ共和国]でチェックされ、モスクワ[ソ連政府]でも確認されている。1985年までは甲状腺がんは1件しか登録されていない。それなのに、これは噂[レベル]の証拠にすぎないという文言が[レポートに]ある。これは国際チェルノブイリ・プロジェクトの信用を落とし、さらに、誠実に調査をした人々の信用を傷つける。したがって、この箇所はマスコミと市民に公表する前に、ソ連代表団と協議の上、修正することを要求する。

「N. D.トゥロニコ(キエフ内分泌学研究所長)の声明」(II, p.46)

● ベラルーシ共和国の代表が述べていたように、[ウクライナの]我々も心配しているのは甲状腺がんの問題だ。我々の研究所は専門機関で、甲状腺がんの疑いのある子どものほとんどが送られてくる。1990年には甲状腺がんの手術が20例行われた。比較として、1985年から1988年の間には1,2例の手術が行われた。甲状腺がんの症例は性別、年齢別、住居地別に慎重に分類され、放射性ヨウ素131やその他の半減期の短い核種による甲状腺被ばく量は内部被ばく、外部被ばく共に全線量レベルが得られている。手術中に摘出された腫瘍は形態組織学的検査の対象になる。

● 理論的には、現時点で甲状腺がんが[こんなに多く]存在するべきではない。広島と長崎の経験では、潜伏期間は10年だと示され、マーシャル諸島[1954年アメリカによるビキニ環礁水爆実験]の場合、8年後に甲状腺がんの最初の症例が検出された。今回の甲状腺がんの急激な増加(outbreak)を、事故前と比べて子どもたちに対する医学的ケアがよくなったからだと結論づけることは可能だ。

● しかし、この問題を別の観点から検討したい。放射性ヨウ素と内部被ばくがもたらすことと、多くの地域が地方病性甲状腺腫(endemic goitre)を抱えているという事実を健康に悪い生態学的状況と考えれば、甲状腺がんの潜伏期間をある程度短くした可能性がある。ウクライナ共和国には、甲状腺に高い被ばく線量を受けた子どもが8,000人いるので、放射線が引き起こす甲状腺がんの最初の例は10年後にしか現れないという楽天的な見方を私は共有しない。

 これらの声明の全文は今中哲二氏(京都大学原子炉実験所)による翻訳を参照されたい(注2)

IAEA国際チェルノブイリ・プロジェクト報告書は不正確

 IAEA「国際チェルノブイリ・プロジェクト」報告書の5年後に、「絶望の10年間」と題する論文が発表され、「国際チェルノブイリ・プロジェクト」報告書の内容は不正確だと厳しい批判がされた。この論文を掲載したのは『原子力科学者のブルティン』(Bulletin of the Atomic Scientists)である。これは、原爆を作ったマンハッタン・プロジェクトに関わった科学者やエンジニアによって1945年に創立され、原爆の恐ろしさを知っている専門家として、市民に警告を発するために立ち上げたという(注3)。そして1947年に「終末時計」を初めて表紙に掲げた。核の危険度を毎年「真夜中まで〜分」という針で示している。ちなみに、2015年は1984年以来最も危険度の高い年とされている。1984年は「米ソ関係が最も冷え込み、両国首脳の会談が停止し、軍拡が始まると心配された」が、2015年は核兵器の近代化その他で人類への脅威が極端に大きくなっているのに、「世界の首脳たちは彼らの最も重要な義務である、市民の健康と人類文明のダイヴァーシティ(diversity, 生命活力、多様性を意味する)を守ることを怠っている」(注4)と警告している。

「絶望の10年間」(注5)の中で、ウクライナ・ベラルーシ研究の専門家、デイヴィッド・マープルズ教授(カナダ・アルバータ大学)は次のように述べている。

振り返ってみると、チェルノブイリ事故の健康被害に関する主要な国際調査である「国際チェルノブイリ・プロジェクト」は不正確だった。甲状腺がん、作業員の死傷者、先天性異常例、そして「チェルノブイリ・エイズ」と呼ばれる死亡率の全体的上昇などについて、[報告書より]ずっといい情報が明らかになるにつれ、「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の結論が間違っていることが明白になった。長期的安全についての教訓はほとんど学ばれなかったようだ。それどころか、重大核事故の危険性は1986年より現在の方が大きい。

福島原発事故の健康被害に関するIAEA報告書(2015)

 福島第一原発事故5年目の2015年8月にIAEAが『福島第一事故報告書』を公表し、その要約がIAEA天野之弥事務局長名で出された。健康被害については「作業者又は公衆の構成員の間で、事故に起因し得ると考えられる放射線による早期健康影響は観察されなかった」(注6)としている。多発している甲状腺がんについても、スクリーニング装置の感度が高いために「無症候性の(臨床的手段によっては検出できない)甲状腺異常を検知して」おり、「この年齢の子供における甲状腺異常の自然な発生を示している可能性が最も高い」(p.12)と結論付けている。70%の転移率については完全無視だ。転移率が高いということは、放置しておけば転移率が更に増加するということではないのか。

 2015年11月30日開催の福島県「県民健康調査」検討委員会(注7)で公表された甲状腺がん悪性・悪性疑いは2巡目検査で39人となり、1巡目で発見された子どもとあわせて152人となっている。そのうち手術後に確定したものが115人である。座長の星北斗氏は相変わらず、原発事故が原因とは考えにくいという根拠のない発言を続けているが、問題は1巡目で異常なしだった子どものうち、2巡目で悪性・悪性疑いとされた子が39人もいるということである。これだけでも事故による被ばくが原因だと考える根拠になるだろう。委員会を中継したOurPlanet-TVによると、「2011年から2013年までの先行検査(1巡目)については口頭のみでのデータ公表」だったそうだ(注8)。山本太郎参議院議員(「生活の党・山本太郎となかまたち」共同代表)が2015年12月11日開催の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」で、環境省と環境副大臣に対して、甲状腺がんの多発を認め、他県でも健康診断を行うよう強く求めた(注9)

 原子力推進の国際機関や福島県「県民健康調査」検討委員会他、日本政府行政および政府が重用する専門家たちが「健康被害はない」「今出ている被害は事故とは関係ない」等の発言をくり返す一方で、低線量でも健康影響が出るという疫学調査が次々と出されている。被ばくによる疾病率や死亡率増加について、2015年10月に公開された大規模な疫学調査結果によると、1mGyという低線量で白血病や悪性リンパ腫、骨髄腫などによる死のリスクが大きくなるという(注10)

 IAEAの『福島第一事故報告書』では、「人間以外の生物相に対する放射線による影響」についても「直接放射線によって誘発される植物と動物への影響の観察は報告されていない。(中略)事故の結果として、生物相の集団や生態系に重要な放射線影響が生じる可能性は低い」(p.13)と明言しており、ネイチャーScientific Reports誌掲載の蝶の被ばく影響の報告や鳥類その他の研究報告(8—5—7, 6—1, 4—9参照)も完全無視である。原子力を推進するIAEAが健康被害も環境への悪影響もないと、根拠のない主張を続ける構図が鮮明だ。

 IAEAに抗議したロシア・ウクライナ・ベラルーシの放射線研究や内分泌学研究所に相当する日本の研究機関や学会などは、福島原発事故による健康被害はないというIAEAの報告に対して抗議するだろうか。IAEA報告書に抗議しているのは現在までのところ、国際環境NGOグリーンピース(フクシマ・アクション・プロジェクト/グリーン・アクション/原子力資料情報室と連名)(注11)と国際環境NGO FoE JAPAN(注12)の市民団体だけのようだ。

日本の安全神話と闘った科学者たち

 本サイトでたびたび紹介した蝶の研究者、野原千代さんが2015年10月28日に亡くなった。福島第一原発事故直後から福島に入って、ヤマトシジミ蝶とえさのカタバミを採取し続け、被ばくの影響を研究して、国際的な学術誌に発表し続けた。ネイチャーのScientific Reports掲載の第一番目の論文(2012年8月)が発表されるやいなや、海外ではBBC(イギリス2012年8月12日注13)・ABC(オーストラリア2012年8月12日注14)・CNN(アメリカ2012年8月14日注15)・シュピーゲル(ドイツ2012年8月14日注16)・ル・モンド(フランス2012年8月15日注17)等、メジャー・メディアが写真入りで大きく取り上げたのに、日本のメディアは無視だった。写真入りで報道したのは『東洋経済』(2013年4月3日注18)・『中日新聞』(2013年4月25日注19)・『DAYS JAPAN』(2014年11月号)くらいだ。

 特に野原さんが第一執筆者の論文「ヤマトシジミにおける放射性物質摂取の生物学的影響」(2014 注20)は、野原さんが亡くなる1月前に公開されたUNSCEAR(国連科学委員会)『2013年UNSCEAR報告書以降の進展』(2015年10月22日注21)の中で高く評価されている。UNSCEAR上記報告書の第8章「線量評価と人間以外の生物相への影響に関するアップデート」(Updates on Evaluation of Doses and Effects for Non-human Biota)の該当部分を以下に訳す。

83. 福島原発事故によって放出された放射性物質がヤマトシジミに与えた影響に関する以前[2012年Scientific Reports掲載]の論文を包括的に弁明擁護する数編の論文が出された(注22)。著者らは方法論について徹底的に掘り下げ、データ分析もより詳細であった。その上、特に野原他「ヤマトシジミにおける放射性物質摂取の生物学的影響」は、チョウの幼虫に葉を食べさせて、その影響を研究することによって、新たな知見を得ている。

 この一連の論文の著者らは、福島原発事故による放射能の放出で被ばくしたことが、この研究のチョウの死亡率と異常率の上昇をもたらし、突然変異は子孫に遺伝し、福島原発近隣地域では、チョウの劇的な減少が起きているという主張を続けた。

 彼らはまた、津波の影響などの交絡因子の可能性を否定した。技術的な誤りはいくつかあるが、野外環境における線量とチョウに表れる影響の増加との関係を観察した彼らの研究は更なる調査を続けるべきだと評価される。これらの論文は単純に否定することもできないが、かといって、全てのデータが完全であることを受け入れたとしても、環境への放射線の影響に関する現在の知見からは、結果について納得のいく説明がされているわけでもない。

 最後の文は放射線の影響を否定したいUNSCEARの委員たちの本音が表されているように読める。

 『2013年UNSCEAR報告書以降の進展』に記載されている執筆責任者のうち、日本人担当者は所属名もなく、英語表記で苗字以外はイニシャルのみだが、以下の人々だと推測できる。シニア・テクニカル・アドバイザー児玉和紀(放射線影響研究所主席研究員)、ワーキング・グループ青野辰雄(放射線医学総合研究所福島復興支援本部)・伴信彦(東京医療保健大学教授、2015年4月より原子力規制委員会委員)・小笹晃太郎(放射線影響研究所疫学部長)・三枝新(放射線医学総合研究所放射線防護研究センター)・高橋知之(京都大学原子炉実験所)・保田浩志(やすだ、放射線医学総合研究所、2015年10月から広島大学原爆放射線医科学研究所)諸氏である。

 また、『2013年UNSCEAR報告書以降の進展』には、委員会メンバーの構成について批判があったと以下の弁明を記している。

核賛成、反対の点で、バランスが取れていないこと、利益相反や偏りから完全に自由ではないことなどの批判を受けてきた。(中略)委員会は核賛成でも反対でもなく、放射線や放射性物質を使用するいかなる活動(医学・研究・産業など)に賛成も反対もしていない。(中略)委員会の評価作業に携わる委員たちは国の代表者からUNSCEARに提出された提案に基づいて選考される。選考の鍵となるのは、関連の科学分野における科学的優秀度と能力である。

 ちなみに、保田・小笹氏は2015年8月発表のScientific Reports論文「福島県県民健康調査:福島県住民の外部被ばく線量の評価」(県民健康管理センターの7名の専門家他と共著)で、県民の行動記録に基づいて、62%が1mSv未満と推計している(注22)。この結果と甲状腺がん発生率の関係は説明がつくのだろうか。また、研究の当事者自身が研究の妥当性を評価するUNSCEARの審査委員だというのは許されるのだろうか。「外部被ばく量はたいしたことない」という論文を発表した人たちが、甲状腺がんを含め、症状が出ていることを認めないという主張になることは、容易に推察できる。

 いずれにしろ、野原さんの内部被ばくに関する論文をUNSCEARは認めた。野原さんは命をかけて放射線の危険性を証明した。チョウとかたばみの葉を採取し、実験する作業をするたびに体の具合が悪くなると生前もらしていたと、おしどりマコさんが訃報記事で伝えている(注23)。危険性を訴えるために、国内外で講演活動も積極的に行った野原さんは、体調の悪化をおして2014年11月29日にジュネーブで開催された「放射線の遺伝子への影響」シンポジウムで発表し、大反響を呼んだ(注24)。主催者のIndependent WHO(IAEAと従属関係にあるWHOに独立性を求めるNGO)はこのシンポジウムの講演集を2015年10月に出版した。その表紙には「野原千代(1955年5月8日〜2015年10月28日)に捧ぐ―彼女は科学的真理のために死んだ」(In memory of Chiyo Nohara: She died in the cause of scientific truth)(注25)と書かれている。

 野原千代さんをはじめとするチョウの研究者たちの努力について、朝日新聞の「(プロメテウスの罠)チョウを追う」(注26)が詳しく報道している。このシリーズは「批判から始まった」という記事から始まっていて、日本国内のネット上の誹謗中傷コメントが論文発表直後から酷かったことがわかる。これは海外の受け止め方とは対照的だ。シリーズNo.2「加熱するネット投稿」で紹介されている「国立大の生物学教授」は、個人ブログに「マスコミの科学に対する理解力が皆無に近い」と書いている。つまり彼は、BBCを始めとする世界のマスコミが科学を理解していないと言うのである。こうした日本の「科学者」たちは、学術誌に批判を投稿したり、欧米メディアにクレームを付けたり、主張を伝えるわけでもなく、個人ブログやツイッターで根拠ない(チョウの死亡率や奇形率が被ばくの影響ではないと証明しない)主張を繰り広げている。このほとんど誹謗中傷に近いコメントが「朝日新聞連載『プロメテウスの罠・チョウを追う』をめぐる反応を追う」という「加熱するネット投稿」集としてまとめられている(注27)。誹謗中傷コメントは朝日新聞の連載が開始する直前から始まり、連載が終わる数日前に「連載10回に至ってほぼ論点が出尽くした感がありますので、第2部はおそらく作らないと思います」と書かれて終わっている。連載が尻切れとんぼで中断した感じが否めなかったので、この投稿集とその日付を見て、投稿者たちの目的が連載を止めること、その目的達成で投稿が終わったのだと納得させられた。

 もう一つの悲しい訃報に接した。野原さんの死から2週間ほど後の2015年11月13日に、本サイトでも紹介した(8—5—12)岩波科学ライブラリー『見捨てられた初期被曝』(2015)の著者study2007さんが亡くなった。11月1日の『東京新聞』にインタビュー記事「余命わずか放射線研究者の『遺言』低線量被ばくに警鐘『100キロ圏外に避難不可能なら原発再稼働認めるな』」が掲載されたばかりだった。読者が知らされたのは、study2007さんが放射線の専門家として年間0.3mSv被ばくし続け、2007年にがんになったのは、この放射線被ばくのためではないかと思ったということだ。本名も明かさず、もちろん顔写真もないのは、家族や同僚に迷惑がかかるからというのは、上記の野原さんたちに対するネット・バッシングを見れば理解できる。Study2007さんはまだ40代の若さだった。

 野原千代さん、study2007さん、子どもたちを守ろうとしたお二人の思いを引き継ぐ科学者やジャーナリスト、市民たちがいることを信じて、安らかにお眠りください。ありがとうございました。

注1:『国際チェルノブイリ・プロジェクト 国際会議録』The International Chernobyl Project: Proceedings of an International Conference held in Vienna, 21-24 May 1991 for presentation and discussion of the Technical Report, Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures , 1991
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub894_web.pdf

注2:今中哲二(訳)「IAEA報告への反論」『技術と人間』1992年9月号所収
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/GN1992-9.pdf

注3:「原子力科学者のブルティン―70年間権力者に知識を語り続ける」(Bulletin of the Atomic Scinetists: 70 Years Speaking Knowledge to Power)
http://thebulletin.org/about-us

注4:「タイムライン」(Timeline) 2015年「真夜中まで3分」(It is 3 minutes to Midnight)
http://thebulletin.org/timeline

注5:David R. Marples “The Decade of Despair”, Bulletin of the Atomic Scientists, May 1996, pp.22-31.
Google booksで閲覧可
https://books.google.co.jp/books?id=xAwAAAAAMBAJ&pg=PA31&lpg=PA31&dq=International+Chernobyl+Project&source=bl&ots=vvhK82yzzx&sig=dJmS3vKSNsipE0WrzaLG9JVjeHI&hl=en&sa=X&ved=0CCgQ6AEwBDhGahUKEwis4ebBzMDHAhWDLpQKHTmqB2o#v=onepage&q=International%20Chernobyl%20Project&f=false

注6:「福島第一原子力発電所事故—事務局長報告書—巻頭言及び要約」IAEA, 2015年8月, pp.11—12.
http://www-pub.iaea.org/MTCD/Publications/PDF/SupplementaryMaterials/P1710/Languages/Japanese.pdf

注7:委員会資料は福島県ホームページより閲覧可能。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21045b/kenkocyosa-kentoiinkai-21.html

注8:「甲状腺がん悪性・悪性疑い152人〜福島県民健康調査」OurPlanet-TV
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/2004

注9:「国会質問:2015.12.11復興特委『明らかに多発、異常事態』」参議院議員 山本太郎オフィシャルサイト」に映像と質問と回答の書き起こしが掲載されている。
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/5470

注10:「低線量被ばくでも発がんリスクが高まるとする、国際的な研究成果」『サイエンス・メディア・センター』2015年10月23日 
http://smc-japan.org/?p=4216
この報告と日本の対応に関する論考がネット掲載されているので参照されたい。
浅沼=ブリス・セシル「FUKUSHIMAの気がかりな調査結果」2015年10月19日『市民科学者国際会議』
http://csrp.jp/posts/2494

注11:「原子力推進が目的? IAEA「福島原発事故報告書」天野事務局長、被害者の声を聞いてください」国際環境NGOグリーンピース、2015年9月14日
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/iaea/blog/54063/

注12:「IAEA福島レポートについて公開レター:『被ばく、健康影響の過小評価は、将来に禍根を残す』」国際環境NGO FoE JAPAN, 2015年9月14日
http://www.foejapan.org/energy/news/150914.html

注13:Nick Crumpton “’Severe abnormalities’ found in Fukushima butterflies”(「重度の異常」が福島のチョウに見られた)
http://www.bbc.com/news/science-environment-19245818

注14:Mark Willacy “Fukushima radiation spawned mutant butterflies”,
http://www.abc.net.au/news/2012-08-13/fukushima-mutant-butterflies/4194240

注15:”Mutant butterflies a result of Fukushima nuclear disaster, researchers say”(研究者らによると、突然変異のチョウは福島原発事故の結果)
http://news.blogs.cnn.com/2012/08/14/mutant-butterflies-a-result-of-fukushima-nuclear-disaster-researchers-say/

注16:Forscher entdecken Fukushima-Mutationen,
http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/fukushima-strahlung-fuehrt-schmetterlingen-zu-mutationen-a-849972.html

注17:Philippe Pons, “Des papillons mutants autour de Fukushima”, 15 August 2012, http://www.lemonde.fr/planete/article/2012/08/15/des-papillons-mutants-autour-de-fukushima_1746252_3244.html 
この日本語訳がブログ「原子力発電 原爆の子」に掲載されている。
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/08/blog-post_18.html

注18:岡田広行「福島原発周辺で『動植物異常』相次ぐ―チョウやニホンザルなどに異常、研究者が被曝影響と指摘」『東洋経済online』2013年4月3日 http://toyokeizai.net/articles/13516

注19:上田千秋「福島 生態系に異変 原発事故の影響を調査」『中日メディカルサイト』2013年4月25日 http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130426142113599

注20:原題はThe Biological Impacts of Ingested Radioactive Materials on the Pale Grass Blue Butterfly。
日本語訳と掲載誌へのアクセスは琉球大学大瀧研究室「フクシマプロジェクト」のサイトからアクセス可:
http://w3.u-ryukyu.ac.jp/bcphunit/fukushimaproj.html

注21:「福島県県民健康調査:福島県住民の外部被ばく線量の評価」、「放射線医学県民健康管理センター」 
http://fukushima-mimamori.jp/publications/2015/09/000206.html
論文は以下のScientific Reportsサイトから閲覧可。
http://www.nature.com/articles/srep12712

注22:UNSCEARが挙げた論文は、檜山他「福島第一原子力発電所事故とヤマトシジミ:長期低線量被曝の生物学的影響」(The Fukushima Nuclear Accident and the Pale Grass Blue Butterfly: Evaluating Biological Effects of Long-term Low-dose Exposures, 2013)・野原他「ヤマトシジミにおける放射性物質摂取の生物学的影響」(2014)・平良他「福島原発事故の影響:ヤマトシジミの場合」(Fukushima’s Biological Impacts: The Case of the Pale Grass Blue Butterfly, 2014)。いずれも、琉球大学大瀧研究室「フクシマ・プロジェクト」サイトからアクセス可。

注23:おしどりマコ「ヤマトシジミ被曝研究者の死」『DAYS JAPAN』2015年12月号、Vol.12, No.12, p.23.

注24:里信邦子「原発事故のチョウへの影響、スイスでの講演発表が大反響」SWI, 2014年12月3日 
http://www.swissinfo.ch/jpn/原発事故のチョウへの影響-スイスでの講演発表が大反響/41148962

注25:Proceedings of the Scientific and Citizen Forum on the Genetic Effects of Ionizing Radiation, Independent WHO, October 2015 ホームページからpdfにアクセスすることも、書籍形式の注文も可。
http://independentwho.org/en/2015/11/05/proceedings-forum-2014/

注26:朝日新聞デジタル「プロメテウスの罠一覧」から「チョウを追う」シリーズ1〜17.
1: http://digital.asahi.com/articles/DA3S11848781.html
上記のページは現在閲覧できませんので、同内容を記録したものをご覧ください。
チョウを追う(1)
17: http://digital.asahi.com/articles/DA3S11881364.html

注27:「朝日新聞連載『プロメテウスの罠・チョウを追う』をめぐる反応を追う」
http://togetter.com/li/848173