アーネスト・スターングラス博士(Ernest Sternglass: 1923-)
このセミナー時の肩書きはピッツバーグ大学放射線物理学部長。1952年にコーネル大学の物理工学博士コースを終了し、ウェスティングハウス社に入社して、1967年まで原子力計測器の研究に携わった。核の平和利用についてまだ楽観的だったという。アリス・スチュアートの論文に出会ってから、ウェスティング社に勤務しながら、放射性降下物が幼児・子どもに及ぼす影響について研究を始めた。そして、核実験のフォールアウトが雨によって降ってきた地域で、乳児の死亡率や死産が増加することを発見した。
広島・長崎の被曝者についての研究論文を読んで、この被曝者研究は広島・長崎の郊外に落ちた死の灰の影響を除去するよう意図されているのではないかという疑いを持った。一般市民が放射線と死の灰について騙されていると知り、この問題に真剣に取り組まなければいけないと思い始めた。1963年に『サイエンス』誌に核実験によるフォールアウトで白血病が増加しているという論文を発表したが、アメリカ原子力委員会、政府、原子力ムラにとって脅威だったため、「変人」というレッテルを貼って排斥しようとした。そんな中で放射線の危険性を社会に訴え続けるのは非常な勇気のいることだった。
スターングラス博士がこの議会セミナーに参加する頃は、まだ放射能を原子炉内に閉じ込めておけると信じていたという。それが間違いだと気づかされたのは3年後の1970年だった。原子炉からの放射能漏れが通常の100万倍から1億倍にのぼっている原子炉があるという放射線医学保健局の報告を読んで、医学部の学生にシカゴ付近の原発近くの乳児死亡率について調べるよう指示した。すると、放射能漏れが多いときは死亡率が上がり、少ない時は下がっていることがわかった。統計学者に検証してもらったところ、放射能漏れと乳児死亡率に相関関係があることを発見した。
1971年に、ペンシルヴァニア州シッピングポート原発は排気筒から放射能を放出しない安全な原発として宣伝されていたが、作業員の証言によって、ガスタンクのバルブの腐食などによって洩れていたため、排気筒からの放出ゼロとされていたことが判明した。周辺の土壌やミルクからはストロンチウム90が検出され、スターングラス博士が公表すると、原子力委員会は原発のせいではなく、中国の核実験の影響だと反論した。検査の結果、中国の核実験由来ではないことが判明し、この原発附近で71年から72年にかけて乳児死亡率が州全体の2倍以上であることなどをスターングラス博士が発見した。
スターングラス博士が核実験による影響を研究し、原爆実験を批判している間は支持していた友人たちは、彼が原発批判に転じた時、皆去って行ったという。そして、ニューヨーク州保険局、ペンシルヴェニア州保険局、原子力委員会、環境保護庁すべてが、スターングラス博士の発見は信憑性がないという声明を出した。
出典:Freeman前掲書, pp.50-77.
ヴィクター・アーチャー博士(Victor Archer)
セミナー当時はアメリカ公衆衛生局、アメリカ国立労働安全衛生研究所の医学部長。1976年にニューヨーク科学アカデミーの紀要に論文「ウラン鉱山鉱夫の呼吸器疾患による死亡率」が掲載された。このテーマの研究はアメリカ公衆衛生局の医学チームが1950年から始めており、アーチャー博士が指揮をとっていたというが「波風をたてるつもりはない。われわれは中立的科学者として事実を見極めなければならないので、研究が完成するまで公表するつもりはない」と言ったとされ、鉱夫たちに危険性を注意することを怠ったと批判された。
出典:Doug Brugge & Rob Goble, “The History of Uranium Mining and the Navajo People” (ウラン採掘の歴史とナバホ族), American Journal of Public Health, Vol.92, No.9, Sept. 2002, p.1413. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3222290/