司会進行役に低線量被ばくの害を訴える専門家を起用:【訳者解説】

会議の司会進行役カール・モーガン博士と、カレン・シルクウッド事件について(訳者解説)

訳者解説:
 会議の司会進行役はカール・モーガン博士(Karl Morgan: 1907-1999)、当時ジョージア工科大学の保健物理学教授でした。英国『ガーディアン』紙の死亡追悼記事によると(注1)、保健物理学(被ばくの健康への影響を研究する科学分野)のパイオニアでした。最初の原爆を作ったマンハッタン・プロジェクトの基礎を作った研究チームのメンバーで、30年間、核組織の一員でしたが、1968年以降は放射線の危険性を訴え続けました。医療専門家にX線使用の際、放射線の線量を制限することを義務づける法律を作るためのキャンペーンの中心的役割を果たしました。

その他、特に有名なのが、1983年にメリル・ストリープが演じた『シルクウッド』として映画化されたカレン・シルクウッド事件の裁判で証言に立ったことです。ゴフマン博士も共に証言に立ち、ゴフマン博士はインタビューの中で、モーガン博士が優れた科学者で尊敬していると述べています。モーガン博士はその後も、被ばくした者たちの証言に立ち、反核、反被ばくの活動を続けました。

 したがって、1976年当時のモーガン博士の立場は明らかで、アメリカ議会「エネルギー環境小委員会」はその人物を議長にしたわけです。

注1: Pearce Wright, “Karl Morgan: A brilliant physicist on the Manhattan project, he spent his later years warning America abut the dangers of nuclear radiation” (カール・モーガン——マンハッタン・プロジェクトの優秀な物理学者、後半生、放射線の危険性についてアメリカに警告を発し続けた), The Guardian, 15 June 1999: http://www.theguardian.com/news/1999/jun/15/guardianobituaries1

カレン・シルクウッド事件

 モーガン博士自身が自伝の中で語るところによると、シルクウッド(1946-1974)はオクラホマ州にあるプルトニウム核燃料製造工場で働く技術者だった若い女性だが、工場の安全管理の杜撰さに危機感を持ち、プルトニウムががんをひき起こすということを作業員に知らせないことなどを含め、アメリカ原子力委員会(AEC)に提訴しようとしていた。その頃シルクウッドは、不審なプルトニウム汚染の被害にあい、外部被ばく、内部被ばく、家の中にまでプルトニウムで汚染されていたことが発覚した。証拠書類をニューヨークタイムズ記者に渡そうと移動中に、居眠り運転で死亡したとされている。この議会セミナーの2年前の事件である。

 居眠り運転していたとされるシルクウッドが車をバックさせて事故を起こしたというのは可能だろうかと、モーガン博士は疑問を呈している。シルクウッド裁判ではモーガン博士とゴフマン博士が放射線専門家として証言した。

出典:Karl Z. Morgan & Ken M. Peterson, The Angry Genie: One Man’s Walk through the Nuclear Age, University of Oklahoma Press, 1999, pp.135-136.日本語訳:松井浩・片桐浩(訳)『原子力開発の光と影——核開発者からの証言』昭和堂、2003.

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